白昼夢中遊行症

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

断想

家にこもっていると、外界から刺激を受け取ることが少なく、そのために頭も動かず、日記に何か考えたことを書こうにも、その日あった事柄を列挙するくらいのことしかできないのだが、家にこもっていると、そこで遭遇する出来事というのも外に出たときに比す…

断想

ブログ管理画面の連続投稿日数が続いているのを見てしまうと、なんだかこれを途切れさすのが惜しいような気がしてしまい、特に何か書くことも見つからないというのに、何かを書かなければならないという気になってしまう。こうした強迫観念に駆られたとき、…

断想

運命論と決定論について少し前に(あくまで自分の理解の上での)違いを述べたが、私は運命について、もう少し何ごとかを述べたいように思う。私はそこで可能世界という道具を持ち出すが、ここではそれを「この現実世界における事物のあり方に何かしらの変更…

断想

昨晩は夜になっても気温が下がらず眠れなかった。夜が明けて気温が落ちてきた頃にようやく眠ることができた。6時間ほど経って目が覚めた。いつもならばもっと眠らなければ目覚めることはないのだが、その頃にはまた気温が上がり、とても眠っていられる状態で…

断想

6月26日。今年はじめて室温が30度を上回り、たまらず近くの大型商業施設へ避難した。例年ならば、この時期からは一日のほとんどの時間を大学の図書館か、大型商業施設の休憩スペースないしどこかの店で過ごすようにしている。おれは掃除を等閑にしがちな人間…

断想

今日一日、寝不足のせいで倦怠感に取り憑かれていた。睡眠不足の反動は、必ずしもその翌日にやってくるわけではない。しかし、必ずやってくるものだ。人によっては慢性的な睡眠不足でじりじりとパフォーマンスを落としていくそうだが、おれは比較的すぐに揺…

断想

ふと、運命論と決定論の違いについて気になって、本屋でそれらしい本を立ち読みした。それによると、およそこういうことらしい(とはいえ、所詮は立ち読みのつまみ読み程度の理解であるので、それが正しい理解であるかどうかは保証しないでおく)。運命論に…

眠れぬ夜がなくなって

そういえば、私が比較的コンスタントに日記を書いていた頃は、スマホとかでも文章を入力していたのだが、大学の授業がリモート形式になった影響などでPCで文字を入力する機会が増えたことで、今ではその習慣がなくなった。こうしたことも日記を書く頻度が落…

おれは自身の楽しみのために日記を書いている。

正直なところを述べると、おれが日記を書くわけとは、単に後から読み返してみるのが面白いからであって、記憶のためとか文章の練習とかいったたいそうなものではない。おれはそのことをしばしば忘れて、自己の同一性のためとか、文章力の向上のためとか立派…

「記憶のために書いている」というのは虚構である。

bounoplagia.hatenablog.com おれはしばしば「自分の記憶のために日記を書いている」などといったことを言うが、これは真実ではない。なぜなら、現におれが前に書いた日記から、いまのおれと連続した主体としてのおれを見いだすことができないからだ。過去の…

おれは記憶のために書いているのだということを覚えているためにおれは記憶のために書いているのだということを書いている。

おれは、現在のおれの意識を切り抜いておいて後から参照するために日記を書いているし、書かなければならないのだ。……とかいったことを、おれは定期的に書かずにはいられないのである。さもなくば、おれの「記憶のために日記を書かずにはいられない」という…

いつもどおり、外のことが分からない。

外のことが分からない。しかし、それがどうして異常事態なのかも、それの何が問題なのかも分からない。 確かに、この数ヶ月のうちに、世相はすっかり変わった。おれもおれで、外に出る機会はすっかり減ったし、実際に他人と顔をつきあわせる機会もなくなった…