白昼夢中遊行症

花粉症者の春

春という季節は本来、散歩に適した季節だというのに、花粉症のために、ぼくは何かから逃げるような生活を強いられる。なるべく外出しないようにして、外に出るときは帽子とマスクをして、化繊のジャケットを着る。春の暖かい空気を胸いっぱいに吸い込むこともなければ、季節の織りなす風物に目を止めることもない。下を向いて早足で歩いていく。寄り道はしない。しだいに芽吹き色づく自然に、ぼくはいっそう死んだ顔をして、そこから逃れようと足を早める。

春という季節のすばらしさというのは、ぼくにとってはもはや空想の世界のものだ。芽吹く草花、鳥の声、暖かい風など。ぼくは夜にしか出歩けないし、夜はまだ寒くて出かけようと思わない。春はほとんど外出せずに、ベッドに横になり夢見るか、本でも読んでいるくらいしかすることがない。何もしないでいると、ますます何もしたくなくなる。こうして体は倦怠感に同調していき、一日のほとんどを寝て過ごし、飯を食う時もコンビニの総菜パンで済ますようになる。

 

昨日、いい天気だったので自転車で少し遠くまで行ってみようと思った。その時は花粉症のことを忘れていて、マスクも何もつけずに出ていった。一時間くらいくしゃみが止まらず、目の腫れは今もまだ完全に引いていない。

すぐにショッピングモールに避難して、便所の紙で鼻をかんで過ごした。もうどこかに行こうという気は失せて、酒とカップ麺を買って帰った。帰り道、頭は酒に酔ったみたいにぼんやりしていた。

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春は何もしたくない。今年は特に症状がひどい気がする。この季節の終わりを願うばかりだ。もっとも、夏が来たらそれはそれで、なんだかんだ不平を言うのだが。

季節なんてなくていい。おれは人間だ。人間だから、人間の作ったものの恩恵に与って生きていくのだ。いつも人間として生まれたことを嘆き、人間と人間が生み出したものを嫌っているような口ぶりのおれが言うのも変な話かもしれない。しかし、おれだって人間にすぎないのだ。できることなら一年中、24℃前後、湿度60%程度の環境の室内で暮らしたい。

人間に生まれた以上、自然と共存して生きることは難しい。自然は克服するものだ。おれはそこから一切の自然が追放された、すべて人工的なものでみたされた空間で、人が生きていくのに最も適した環境を与えられて暮したい。

芽吹く草花、花の声、頬をなでる暖かい風? そんなのくそくらえだ!