白昼夢中遊行症

断想

日記の書けない日々が続いている。

 五〇年二月

 記憶が次第に逃れ去る。日記をつけることを決意せねばならぬだろう。ドラクロワのいうことは正しい。日記につけ落された日々は存在しなかったも同然であると。きっと四月にはぼくに自由が戻ってくるだろう。

『反抗の論理』

カミュのノートの翻訳の二冊目である『反抗の論理』を読み終える。『太陽の讃歌』と比べるとなんだか小難しいというか、一冊目で多く見られたような感覚の描写は目立たなくなり、引用や思索的なものが多く書かれているように感じられた。そして、どちらかというと、ぼくには『太陽の讃歌』の頃のカミュのほうが合っていた。したがって、『反抗の論理』を読むのには骨が折れた。

『反抗の論理』が『太陽の讃歌』と比して、いかなるノートであるかを訳者がわかりやすく解説している。

(……)この時期を真に代表しているものは『ペスト』、『正義の人びと』、『反抗的人間』の三篇ということができよう。事実、今回の『手帖Ⅱ』の大部分は、やがてはこの三篇を形成する思考のエスキスにほぼ費やされているといっても過言ではない。しかもカミュが、これら三作品をそれ以前の《不条理》の系列に入る作品群と区別して、《反抗》の系列に入れていたことが本書から知ることができる。

 いうなればこれはまさに「反抗」の時代であり、混迷の時代でもある。そこはもはや、あの光まばゆい太陽も姿を見せなければ、爆発する生の歓喜もない。太陽は、人間を威圧する重苦しい歴史に取って代られ、生の歓喜は、どうにも仕様のない絶望感と、ふと訪れる死への誘惑にかわられる。親しい友の自殺の報に接したカミュは、そのときはじめて自分にも同様の衝動があることを知って思わず愕然とするのだが、『手帖Ⅰ』ではあれほどくり返し語られた「死」の観想も、ここではほとんど影をひそめてしまっている。いうなれば「死」は、光まばゆい太陽の陰影の部分だ。だから陰影には太陽が、きらめく太陽の下での死には、みずみずしい生がかえって余計に鮮明に感じられるのものだ。だがここには死を映し出す生も、太陽もない。一切が暗い喪失の気配におののいている。

とまあこんな感じだ。『反抗的人間』が上梓される頃までのノートが『反抗の論理』である。すなわちカミュが『反抗的人間』を執筆するにあたって、みずからの思想であった「反抗」についての思索を深めていく時期にあったということだ。だとすれば、理屈っぽくて読みにくいのも納得がいく。

しかしぼくはカミュについて詳しくないので、このノートが書かれた背景について語れることはほとんどないし、「反抗」という考えや、サルトルとの論争にも触れることはできない。なのでこの本について語るのもほどほどにしておく。

ぼくにとって重要なのは書かれたことがらを読んで自分がどう感じたかということだ。その意味を正しくくみ取れているかについてはあまり関心はない。ぼくはカミュの研究者ではなく、いち読者としてカミュの作品を読んでいる。そして読者として本を読むとき、正しく読むことは必要ではない。

少しまえに読んだピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』という本では、われわれが本について語るとき、話題になっているのは現実の書物というより〈幻影としての書物〉であり、それについて語るというのはある種の創造行為であるという主張がされていた。そしてその究極的な狙いとは自分自身について語ることであると。さらには、読書というのは自伝を書くことの口実に過ぎないとまで言われていた。

(とはいえ、いまぼくは〈幻影としての書物〉としての『読んでいない本について堂々と語る方法』について語っているので、その著者の主張を正確に説明しているわけではない。ぼくは『読んでいない本について堂々と語る方法』という本を通じて、自分の思うところを語っているに過ぎない。)

つまり、ぼくはカミュの手帖を読むことで自らについて語るきっかけを得ようとしているにすぎない。そしてそこには正しいも何もないのだ。

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日記の書けない日が続いている。つまり、ここ何日かの日々は存在しないも同然だ。頑張って思い出そうにも、なにも思い出せない。昨日はなにをしていただろうか。一昨日は……?

そうだ、昨日か一昨日かは忘れたが、花粉症の症状を少しでも和らげようと、目薬と漢方薬を買ったんだった。しかし、それが効いているのかは知らない。それ以外には?

三日間バイトが休みで、この機会に夜眠り、朝に起きる生活にしようと意気込んでいたっけ。しかし、意気込むだけでそれができれば苦労しないものだ。今日だって、いつの間にか日付をまたいで4時間も経っている。朝になるまで眠るのは無理だろう。

こんな日々だ。いつもと変わらぬ、うんざりするような日々の繰り返しだ。かたやバイトでへとへとになって眠れない夜。かたや倦怠のために無為に過ぎ去っていく一日。そんなものを日記に書くことはできない。日々の区別がつかないほどに均質な日々。こうしてまた一年が過ぎていくのだろう。ぼくは待っている。じっと死ぬのを待っているのだ。ぼくの一切の生活は、コンビニで買ったパンと、酒が回って霞む視界が映す6畳の部屋の中にあるのだった。

今日がまた一つ終った、とぼくはつぶやいた。

 

 

反抗の論理―カミュの手帖2 (新潮文庫)

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読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

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