白昼夢中遊行症

断想

最近、何か書こうと思うことがない。たとえ書くことがなくても、ノートやワープロに向かえば、何らかのことは書けるのだ。日々の区別がないほど均質な日々、というのは誇張で、日々の区別はつくし、語るべきことのない日などというのはほとんどない。語るべきこと、語ることのできることはいくらでもある。いくらでも、というのも誇張だが。

昨日、桜を見に散歩に出かけたことをついさっきまで書いていたのだが、なんだか嫌になって、書きかけのデータをそのまま消去した。こんなことを書きたいのではない。

ぼくが書き留めておきたいこと、ぼくの言わんとすること。何かが足りない。ぼくから何かが失われてしまった。眠れない夜というのがなくなって、それと一緒に何かがなくなってしまった気がする。

いまぼくが語らずにはいられないのは、まさにこのことだ。日々が何かの出来事で満たされようとも、散歩をして、世界と親密なひとときを過ごそうとも、まさにこのぼくが語らんとすることの動機づけにはならない。

何を言いたいのか自分でも分からぬ。

とりあえず、いま確かに理解しているのは、ぼくは何か嫌なことからの逃避として文章を書いていたのだが、逃避のための文章を書かないでいられない日々、というのの欠如もまた、苦痛であるということ。そうして、その代わりに逃避のためではない文章を書こうとしても、それで文章は書けない、ということ。

まだうまく言葉になっていないが。

つまるところぼくは自己憐憫に浸りたいというのではないだろうか、とも思う。