白昼夢中遊行症

断想

私は、私が以前とくらべて無感覚になっていることにふと気がついた。最後に空をじっくり眺めたのはいつだったろうか。当てもなく歩き回って、それで少しも退屈しなかったのだけれど、いつからか、そんなことをしようと思わなくなっていた。そんなことをするという発想が、そもそも抜け落ちていた。意味もなく写真を撮ることも減った。ライブラリにある最近の写真といえば、シラバススクリーンショットや、バイト先のシフト表をうつしたものくらいだ。

しかしその代わり、精神的に荒れることも少なくなったように思われる。気のせいかもしれないが、少なくとも自暴自棄になることは少なくなった。そのことは怒りにまかせて書き殴った日記がここ最近まったくないことからもわかる。私が日記を書こうと思うときというのは大抵、胸の中にしまっておけないくらいの鬱憤がこぼれそうになったときだ。

しかし、それは逆に、自分のうちにそうした煮えたぎる激情を抑え込のが巧くなったというだけなのかもしれない。そうであるなら、私は以前よりも少し社会に適応的になったのかもしれない。それがいいことなのか悪いことなのかはさておき。

だが、それと同時に、私のなかには依然としてそうした感情がくすぶっていて、どこかでそれをぶちまけられる機会をうかがっているということにもなる。破綻は必ず起こる。いまの私の、私にしては異様に秩序だった生活と、平穏な内心にも、いつか嵐が来るだろう。いま恐れるべきなのは、そうした嵐に対処するすべを忘れつつあると言うことだ。以前ならば、半日も外を歩き回っていれば、気も紛れたものだが、いまや歩くことは気晴らしにならない。正しい歩き方がわからない。