白昼夢中遊行症

断想

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる。今読まなければ一生読む機会がないかもしれないと思ったからだ。年々長編を読む力がなくなっていっているように感じる。そもそも、来年もわたしが生きているという保証がない。肉体的に生きてはいても、もはや二度と本を読むことのできぬ状態にいるかもしれない。そういうわけで、読みたいと思っている本は、読めるときに読んでおくべきだ。

というわけで読んでいる。読んでいるあいだは面白いのだが、本を開く力をためるのに時間がかかるから、結果として全然読めていない。全然読めていないから、とりあえずここで全然読めていないと言っておけば、何か心情が変わるかもしれないと思った。何も心情など変わらないだろうとも思った。

書店でフェルナンド・ペソアの『不安の書』の増補版が売っているのを見かけた。うちの大学の図書館には『不安の書』がおいておらず、読むことはないだろうと諦めていたが、もしかすると読めるかもしれない。少なくとも、五千いくらかの金を払えば読むことができる。しかし、ついこの間いらぬ出費をしてしまい、先月ようやく黒字に転じたというのに、また赤字になってしまった。おれの家計はつねに火の車なのだ。

 

不安の書 【増補版】

不安の書 【増補版】

 

 

彼の短編小説集、『アナーキストの銀行家』というのも隣に置かれていた。こちらも気になる。その代わりに彼の詩集である『ポルトガルの海』が書店から消えていた。

 

アナーキストの銀行家;フェルナンド・ペソア短編集
 
ポルトガルの海 増補版: フェルナンド・ペソア詩選 (ポルトガル文学叢書 (2))

ポルトガルの海 増補版: フェルナンド・ペソア詩選 (ポルトガル文学叢書 (2))

 

 

今日はほとんど眠って過ごした気がする。おきていた記憶がない。『カラマーゾフの兄弟』もまったく進んでいない。卒論のテーマも決めていない。憂鬱な気分がおれをさらに現実感の薄い世界へとかり立てる。

 

その人はこう言うんです。自分は人類を愛しているけど、われながら自分に呆れている。それというのも、人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまりひとりひとりの個人に対する愛情が薄れていくからだ。空想のなかではよく人類への奉仕という情熱的な計画までたてるようになり、もし突然そういうことが要求されるなら、おそらく本当に人々のために十字架にかけられるにちがいないのだけれど、それにもかかわらず、相手がだれであれ一つ部屋に二日と暮らすことができないし、それは経験でよくわかっている。だれかが近くにきただけで、その人の個性がわたしの自尊心を圧迫し、わたしの自由を束縛してしまうのだ。わたしはわずか一昼夜のうちに立派な人を憎むようにさえなりかねない。ある人は食卓でいつまでも食べているからという理由で、別の人は風邪をひいていて、のべつ洟をかむという理由だけで、わたしは憎みかねないのだ。わたしは人がほんのちょっとでも接触するだけで、その人たちの敵になってしまうだろう。その代りいつも、個々の人を憎めば憎むほど、人類全体に対するわたしの愛はますます熱烈になってゆくのだ。と、その人は言うんですな。

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟

 

この世で、他人の苦しみのために死んだ者などいまだかつてひとりもいない。私たちのために死ぬと高言した人間はといえば、彼は死んだのではなく、死刑に処されたのだ。

シオラン『絶望のきわみで』

 

 

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

 

絶望のきわみで

絶望のきわみで