白昼夢中遊行症

断想

口を開けば、何にもする気が起きないとばかりいっている。実際、ここ最近なんにもやる気が起きないのだ。できることなら食って寝るだけの生活を送りたい。仕事に生きがいを見出すなんて幻想でしかない。仕事が奪われることに、食い扶持がなくなるという面以外で危機感を抱く人間がおれには分からない。仕事していなくても生きていけるのならそれで良くないか? いったい他に何を望むというのだ。仕事をするっていうのは自分の尊厳を切り売りすることだ。少なくとも、AIだの何だのに奪われる類いの仕事は大体そんなもんだ。自らの人としての尊厳を踏みにじられつつ、それに耐えていないと生きていけない、なんてほうが間違っているし、そうしなくとも生きていけるのならそれに越したことはないではないか。

しかしまあ、おれはおれの思うことは全部間違っていると思う人間なので、このことも間違っているのだろう。もっと世界はおれの計り知れぬようにできているのだ。高尚なことだ。おれはせいぜい、馬鹿げたその規則に従って生きていくしかないのだ。もう嘆き悲しむにも飽き飽きだ。毎日の繰り返しをだらだらと生きるのみだ。考えることはとうの昔にやめてしまった。決められた動作を日々こなすだけだ。大体の場合は決められたとおりに体が動かないので、日々の繰り返しといっても、まるで繰り返さなくて、日々動かなくなっていく体を無理矢理動かす日々だ。動かしたくなければ動かさなければ良いのだろうが、いったん動かさないといけない方向性でルーティンを定めて、それ以来思考停止しているから、動かないで生きるという方向性にシフトするために判断しなおすことができないでいる。

だからおれはしぶしぶ、生きるまねごとをしているのだ。