白昼夢中遊行症

断想

気づけば歩けなくなっている。これはどういうことか。原因は明白だ。酒を飲んだからこうなっているのだ。では、どうしてこうなるまで酒を飲んでしまったのか。何か具体的にいやなことがあって、そこから逃れるために酒を飲んで、前後不覚になるのならまだ良いのだ。良くはないが、理由が明確なのは良いことだ。問題なのは、訳が分からなくなるまで酒を飲み続けるのが習慣として定着してしまうことだ。

おれもいい加減、こんなこと早めにしてしまいたい。酒など、もう人生で二度と飲まなくとも困ることはないだろう。それでも、なぜかおれは酒を飲むことから完全に手を切れないでいる。今回も、ボジョレーヌーヴォーの解禁を口実にまた酒を飲むようになった。いままでワインを飲む習慣がなかったのがあだになった。ワインは苦手だと思っていたから、解禁日のようなときくらいしかワインを飲むことはないと思っていたし、それゆえワインを飲むくらいならまたすぐに禁酒生活に戻れると思っていた。しかしいま思えばおのれの愚かさに笑いがこみ上げてくるくらいだ。解禁日以来、ほとんど毎日、ワインを抜け道として酒を飲んでいる。なんだか体によさげみたいな言説もまた、ワインを飲む自分を正当化しているように思える。しかし、なによりおのれ自身の詰めの甘さに腹が立つ。おかげで家計が圧迫されてたまらない。一日ボトル一本と考えると、おれが好むのが安ワインであっても、しゃれにならない出費だ。一日400円と考えても一月に12,000円だ。こんだけあればいったい何ができるだろうか。

これを書いている今まさに、おれの頭は酒でぼんやりしている。おれは何を語っているのか自分で把握していない。

後日何かの拍子で読み返すときが楽しみだ。そのときこの文章の意味の分からなさに頭を抱えている自分の姿が目に浮かぶようだ。この季節はやたらとトイレに行きたくなる。