白昼夢中遊行症

断想

このところ家にこもりきりだ。そして、太陽の出ている時間には眠っている。一日一日が無意味に、あっけなくすぎていくのを見送る生活が、なんだか怖くなって、簡単でもいいから記録をつけることにした。

今日は18時に起きた。すでに外は暗くなっていた。しかし、じきにこの時間でも明るくなるだろう。いつもよりは元気があるような気がする。そろそろ陽の出ている時間に外に出て、散歩するのもいいような気がしたけれど、まずはその時間に起きなければいけない。やけに背中が乾燥していてかゆい。知らぬ間に左手の甲によく分からない発疹ができていた。特にそこに違和感があるわけでもないが、たぶんあまり健康な生活をしていない表れなんだろうなと思う。人工の光ばかり浴びている。太陽の光の下に出たのはいつが最後だったか。とはいえ、変な感染症がはやっているみたいだし、外に出ないというのはその予防策としてはいいんじゃないか。マスクの品薄はそろそろ解消されたんだろうか。食料買い出しのついでに薬局に行くと、そのコーナーと消毒用アルコールが根こそぎになっていた。Amazonでマスクを調べると、6,000円で転売されていた。そろそろ花粉が飛び始める季節だから買っておかないとと思ったのだが、やられた。マスクがなければこれからの時期は外出できない。それなのにマスクが手に入らない。外に出ないのは、そういう事情もあるかもしれない。

食事が面倒だ。作るのも食べるのも。そのくせして質素な食事ができない。そもそも質素な食事というのが分からない。分からないが、毎日カップ麺、みたいな生活が自分にはできない。箱で買った大盛り系のカップ麺は、食べるのがしんどい味だ。毎日は体が受け付けない。というか、閾値を超えるとしばらく意識から消えてなくなる。そろそろ思い出してきたので、また食べるようになるかもしれない。これを食べるとその日はもう他に何かを食べようという気がしなくなる。食費が安くなるのは悪いことではない。それに、買ってしまった以上、捨てるのもよくない。のこり半ダース、これを食べきるのはいつになるだろうか。

金がない。バイトをしなくなってからも、金の使い方がそれほど変わっていないので、当然のことだ。また働くべきかもしれない。というか、大学なんか行かずに働きたい。おれは大学に行くべきじゃなかったのだと、今になって思うけれど、やめどきで判断を間違って、今更退学する、というのもなあ、という気持ちで仕方なく大学生をやっている。まあ今は春休みだが。しかしあと一年耐えれば卒業できるはずだ。その先に何もなくとも、場違いな居場所から逃れることができる。いまこの心持ちで一年大学にいく意味はあるのか、などと思わなくもないが、そこは自分をごまかして頑張っている。おそらく一番いいのは今からでも大学をやめて、親に謝って、何年かかけて水泡になった学費の償いをした上で、親の庇護から離れることだろう。しかし、今まで積み重ねてきた嘘を今さら取り下げたとして、その嘘を取り払った向こうに真実があるわけでもない。おそらく、また別の嘘偽りで自分というものを作っていくのだろう。

じゃあ、おまえは何を真に望むのか。——できれば、私という存在がもとからこの世に存在していなかったことになってほしい。それは無理な願いだろう。しかし、それ以外にとくに望むものもなく、この望みを一部でも満足させるような妥協点もなく、強いていうなら夢を見ていることに希望を見出して、かろうじて生きている。