白昼夢中遊行症

断想

近所のゲストハウスには出入り口のところに黒板があって、イラストとともに月ごとの催しごとが書かれているのだが、今はそこにアベノマスクを揶揄したイラストが描かれている*1。そのイラストというのはこんなものだ。マスク二枚を身につけた安倍首相と思しき顔を中心に、旭日旗に見立てるように集中線が描かれている。そして、顔の隣には「欲しがりません、勝つまでは」というコメントが添えられている。私はそこを利用したことはないのだが、外出時によく前を通るので、月ごとのイラストの変化を楽しんでいた。かといってそのひとつひとつを覚えているわけではなかった。しかし、今回のこのイラストはなんだか笑ってしまった。なんというか、『20世紀少年』のともだちにも似た雰囲気の絵だ。というか、浦沢直樹が書いた安倍首相の似顔絵に、マスクをもう一枚、目を覆うように追加したような絵だ。したがって、顔はほとんど見えない。どうだ、なんか間抜けだろう。それでいて、変に恐ろしさもある。そこのゲストハウスは海外の人が利用しているのをよく見るが、彼らが見たらいったい何事かと恐れおののきそうだ。とはいえ、ここ最近は海外からの旅行者もめったに見なくなった。

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源氏パイと平家パイを食べ比べたことのない人生というのも寂しいものだと思ったので、食べ比べてみた。人生初平家パイだったが、これはこれでなかなかうまいものだ。しかし、やはり源氏パイが美味しすぎた。

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いつもなら平日の昼間でも人でごった返している駅の地下街が、今日はびっくりするほど静かだった。改札横のコンビニ以外、すべてのテナントがシャッターが降ろしていた。人はたまに通路として使う人がぼちぼちと通っているくらいだった。ここまで人が消えるものなのか。もっとも、地上は普段どおりの人通りなのだが。私はいつもと違う景色を目の当たりにして、ああ、ほんとうにいまは非常事態なんだなあなんて、今更な感想を抱いた。というのも、自分は自粛だのなんだの言われなくとももともと用事のない人間だったからだ。地下街は通路としてしか使ってなかったし、基本的には散歩には外の風を感じ、陽光を浴びるためにいっているようなものだから、地下通路なんぞ雨の日か気まぐれを起こしたときくらいにしか使わない。今日は後者だ。たまには下にも行くか、と思って階段を降りてみると、なんだかひっそりしていた。こんなところだったか、と思いつつ、変化に気づくのにはちょっと時間がかかった。もともと用事のない人間だから、それほど日常が壊されたという感じもない。中にはピリピリしているような人もいるみたいで、大学のオンライン授業に関して必要以上に苦情を申し立てるような人もいるらしいが、私にはこうした人の気持ちが毫も理解できない。変わったことはといえば、いつも以上に外に出る必要がなくなったということくらいで、これは私にとってはほとんどよい変化である。

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カミュの『ペスト』には、パンデミック時にかえって生き生きとした表情をしていた人物がいた。私も、この流行病のもとでむしろ以前よりも元気になっていると感じている。私もこの騒動下、罪に問われる心配がなくなり、ほっとした気持ちでいるのだろう。

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この非常時だからこそ記録を残しておくべきだ、という人がいるが、私としては、非常時とかそういうのは関係なしに、できるだけ記録を残しておきたい。自分のために記録を残しておきたい。私にとって、私という人間を形作るのは今まで書いてきた私の日記である。私はそれによってようやく、あのときと同じ人間としての私を自覚することができる。私はそれなしには、過去から連続した私でいられない。今の私が宙に浮いた存在となってしまう。

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けさ、面白い夢を見た。夢の続きを見るために、寝坊までした。しかし、今や何を見ていたのかをまったく思い出せない。夢の記録をつける習慣がなくなっていくらか時間が経って、そのやり方も忘れてしまった。巧く言葉にできないのだ。そもそも夢が暗号化されているから、それをデコードしながら書いていかねばならないのだが、どうやってそれができていたのか分からない。まだ記憶が残っている状態にノートに向き合っても、言葉にならない。そうしているうちにどんどん記憶は薄れていく。夢は私が郷愁を寄せる場所であるから、そこで起こったことはできるだけ残しておきたいのだが、いったい私はどうやって書いていたんだろうか。

*1:私はこの文章にいかなる政治的意図をも込めていない。