白昼夢中遊行症

おれの納豆話。

7月10日は納豆の日らしいですね。ローソンで納豆巻きの納豆増量やってたんで食いました。べつに納豆が特別好きというわけではないし、何ならおれ、関西人なんですけど、なぜか納豆巻きの納豆増量してるときには食べちゃうんですよね。

ところで、関西人は納豆が嫌い、というステレオタイプがあるというのは、佐藤岳詩『メタ倫理学入門』ではじめて知った。この事実以外、この本についておれが語りうることはない。

たとえば、多くの日本人(関西人を除く)にとって納豆の匂いは食欲をそそるものだが、欧米人にとってはそれはアンモニア臭とタイヤを燃やした匂いが組み合わさったひどい匂いと感じられるらしい*1

この引用は、倫理的な性質について主観的に考えることのもっともさを、他の性質が主観的に捉えうるケースを例示して説明しようとしている箇所なのだが(うろ覚え)、関西人であるおれはここで除かれてしまった。おれはここで除かれてしまったのだが、そうはいってもおれの家庭ではふつうに納豆を食べていたし、納豆の匂いは食欲をそそる、か? いや、どうだろう。まあでも、少なくとも、アンモニア臭とタイヤを燃やした匂いとしては感じないし、食べ物の匂いとして感じている。まあ、納豆を食べるのがおれの家庭だけだったという可能性もある。しかし、おれの両親は両方とも関西の人だし、おれに関東人の血が混じっているとも聞いたことはない(おれは橋の下で拾われたらしいが)。それに小学校だか中学校だかの学校給食で納豆が出ても、誰かがいやな顔をしたのを見た覚えはない。おれの記憶がいかほどの説得力を持つのか知らんが。まあ、おれは関西人といっても、関西人アイデンティティが強いというわけではないし、関西人アイデンティティが培われるほど関西関西した所に住んでいたわけでもないので、同じくおれの周りの関西人もまた、それほど関西人ではないのかもしれない。なので大阪とかに行けばまた違うのかもしれないが、しかし、少なくともおれの住んでいた、はんなりした関西圏の一地域では納豆はふつうに受け入れられていると思い込んでいた。

というわけで、ここで一応は関西人であるおれが除かれたのがちょっとびっくりだったのだ。べつに不快に思ったわけではないが、関西の外からは関西圏はそう思われているのかと驚いた。この記述はどちらかというと日本人としてひとくくりにされて納豆好きとみなされるのを嫌う関西人アイデンティティの強い関西人に配慮したものなのだろうが、関西人アイデンティティのうすいおれのような人間は、なんだか関西人とひとくくりにされて仲間はずれにされちまったなあと感じたのである。たぶん、この箇所はよりよい書き方として、「多くの日本人(一部の関西人を除く)」とするべきだったんじゃないかと思う。

まあ、そんなどうでもいいことばっか覚えているのだが、この『メタ倫理学入門』は割と評判のよい本で、紹介されているどの議論を見ても袋小路ばっかだが、読んでいて面白い本である。倫理学に興味のある人間は読んで損はしないんじゃないかと思う。

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

 

そういうわけで、納豆と聞くと、おれは必ずこの本を思い出すのだ。

おれの納豆話は以上です。

今週のお題「納豆」

*1:佐藤岳詩『メタ倫理学入門』(勁草書房、2017)p. 34