白昼夢中遊行症

2020年の203日目

おれは事前に書くことが決まっていると、かえって何も書けないタイプの人間だ。前の記録では、上半期の反省とか、下半期にやりたいことなどを、またの機会に書くかもしれないし、書かないかもしれない、といっていた。そういいながら、だいたいこういうことが書けそうだな、なんてだいたいの目星をつけていたんだが、書く前から書くべきことが決まっていると、おれの場合、かえって書けなくなる。おれは計画的に書くことができない。少なくとも、こういう日記に関しては、無計画に書かなければ、おれの中にある真にいいたいことが、どこかに隠れていってしまう。というか、言葉のリズムが遮られてしまう。リズムというが、特に韻を踏んでいるわけではなく、音の調子なんかを考えているわけでもないから、リズムというにはちょっと不適切かもしれない。なんというか、おれは、話すように書いている。おれは、自分の中から言葉が出てくるままにこれを書いているので、あらかじめ道が決まっていると、なんだかやりづらいのだ。……そうだ、カラオケに似ているかもしれん。おれはカラオケは嫌いというか、他人の歌を歌って何が楽しいんだか、と思うタイプの人間なので、カラオケに行ったことはほとんどないのだが、なんか無理矢理連れられたことがあって、……って、そんなんどうでもいいんだけど、ともかく、カラオケって、「音程はこれにあわせろ」みたいに指図してくるから、やりにくいんですよ。おれがカラオケ慣れしてないってのがいちばんにあるんだろうが、ああいう風に指図されると、頑張ってこれにあわせにゃならんと思って、そればかりに気をとられて、結局のところ歌詞も音程もリズムも全くとれなくなってその場を気まずい空気に変えちまうんですよね。誰も得しねえっていってんのに、なんでおれを誘うかな。まあ、そんなこんなでやりづらさを感じて、さっき途中まで「上半期の反省」と「下半期でしたいこと」を書いていたんだけど、全部消してしまった。

全部消した上で、無計画に一から書き始めるわけなんだが、上半期の反省か……。

1月はろくなもんじゃなかったな。大学に行くのにすっかり疲れてしまって、授業を全部すっぽかして家に引きこもっていた。いや、引きこもっているわけでもなかったか。なんか、高い自転車を買ったのにろくに遠出してねえな、とか思って、ちょっと遠くまで走っていた。現実から逃れるようにペダルをまわし、風を切って走った。実際にはろくに鍛えてなかったから、すぐにばててしまって、風を切って走ったと表現するにはずいぶんゆっくり走っていたのだが。遠出するにはちょうどいい季節だった。日が落ちてくるとだんだん手足の指の感覚がなくなってきたが、おれは汗かきなので、寒いくらいの季節じゃないと、脱水症状にならないための水分でずいぶんと荷物を増やしてしまって、それで余計に体力を使ってしまう。そういうわけで、遠出するにはちょうどいい季節だった。おれは近くの海まで行って、海に着くと、また来た道を戻っていった。とくにどこか行きたいところがあるわけでもなかった。どこかへ行きたかった。ずいぶん走ったつもりだったが、実際に走った時間は3時間足らずで、走行距離は51.23キロメートルだった。

2月の半ばくらいから、またなんとかして生活を立て直そうとし始めた。しかし、そのときのことはあんまり覚えていない。

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覚えていないが、だいたいこんな感じの生活をしていたらしい。余計なことは考えないで、夜はさっさと眠ってしまうようにしていた。しかし、なんでこの時期は夜にすんなり眠れたのか分からない。というか、たまに夜にすんなり眠り、朝にはすっきり目覚められるような時期が来るけれど、どうしてそのときにはそんな生活ができるのか、いまだによく分かっていないので、おれは自分の意志で生活を律することができない。

……意志ってなんだよ。ややこしい言葉を使うんじゃなかった。意志ってなんだろう。ねえ、なんだと思う?

まあ、そんなこんなで、なんか流行病の影響もあって、大学の新学期の始まりが後ろにずれて、その頃にはまた自堕落な生活に戻っていたので、その分だけおれは自堕落な生活を続けて、新学期が始まると、実際に大学まで出てこなくてもよい生活に少し感動するとともに、初めからこんなだったらおれは5年間もここにいることなかったのに、とか思いながら、今に至るわけだが、そういえば、5月の頭くらいに自分の下宿先のすぐ近くが燃えて、人が一人亡くなった。

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燃えているところを見に来た人たちは、おれも含めてマスクをしていなかったが、どうしてこんなときにまでマスクをしなければいけないんだ? 今だってそうだ。熱中症でぶっ倒れるリスクを負ってまでマスクをしなければいけないもんかね? そう思いながらも、おれは嫌々マスクをしているわけだが。おれはほとんどニュースを見ないので、周りに合わせるしかないのだ。

おれの2020年の上半期はこんなものだ。思えば、何ら特別なこともない。いつも通りのおれだ。いつも通り、ろくでもない人間として上半期を過ごしたといっていいだろう。おれは、少しでもましな人間でありたいと、今年の初めにそういう目標を掲げていたけれど、とくにましになったわけでもなく、かといって特別悪くなったわけでもなく、例年通りのおれをつづけているといった感じだ。

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では、おれは下半期にどうあることを望むかといえば、まあ、高望みするなら、年頭に掲げた目標を掲げなおすといったところか。それくらいが、おれにできるせいぜいのところだろう。そして、最低でも、今以上に現状を悪くさせないこと。これが低いほうの望みだろう。だいいち、おれは思いあがってそのせいで足元をすくわれるんだ。これでもまだ自分の身に余る望みを抱いているのではないかと思うくらいだ。おれは、ほんらい、底辺を這いつくばっているべき人間なのだ。ほんとうは、いまごろ、路上で行き倒れていたはずなのに、変に幸運が重なって、そこそこの大学の底辺をさまよっている。分不相応の居場所に行き着く幸運は幸運なのだろうか。おれは親に、橋の下で拾ってきたと言い聞かされてきた。それが本当なら、余計なことをしてくれたな、と思う。しかし、「親というものは、そうやって、子どもをビビらせて喜ぶものだ、とわかっていた」*1

今週のお題「2020年上半期」

*1:高橋源一郎『恋する原発』(河出文庫、2017)p. 193