白昼夢中遊行症

断想

誰が望んだのかは知らんが、今年だけ、ここから四日間が連休ということになっているらしい*1。連休だからといって、物理的な大学に行っていない大学生であるおれの生活は何も変わらない。そのうえ働いてもいないおれはの生活は、いつもと何も変わらない。朝目が覚めると、今日のぶんのノルマを終わらせてしまって、あとは図書館で借りてきた本を読むのに時間を費やした。おれが手持ちの本を消化できるのは、図書館の本を読み切って、新たに本を借りてくるまでのあいだの期間だけだ。それにもかかわらず、新品の本やら古本やらをいろいろと買い続けているので、おれの部屋にある未読の本は増えていくばかりだ。

おれは週に一度くらいでもかまわないから、パートタイムか何かで働くべきなのだと思う。おれは空白の時間というものをもてあましている。時間をもてあますと、自分のことやら、いろんなややこしい問題についてよく考えこむようになってしまう。おれはいまは働いていないが、勤労の美徳をある面では信じている。おれがもっとも腐っていた時期、おれをこの世につなぎとめていたのは、脇目も振らずに働くことだった。

おれはなぜか今日、かつてのバイト先にいた留学生たちのことを思い出していた。おれは彼らに対してなんだか愛着のようなものを持っていた。同僚の多く、それどころか社員まで、言葉の隔たりとか、文化が違うだとかなんやかんや言い訳をつけてコミュニケーションを避けていたけれど、おれからすれば、彼らの方がよっぽど話しやすかった。何というか、多くの日本人との会話に、おれはうまくついていけないのだ。何だか、彼らの言葉はいちいち思わせぶりで、含みをもっていて、おれには彼らのいいたいことがよくわからないし、彼らの求める答えというのも、したがってよくわからないから、おれはたびたび言葉に窮するのである(もちろん、そうでない人もいたし、そういう人たちとは大方うまくやっていくことができたのだが)。それとひきかえ、留学生たちは、たどたどしくも、はっきりとした言葉で話してくれるから、おれもそれに応えることができた。少なくともそのつもりになることはできた。日本というのは比較的ハイコンテクストな文化圏だといわれているが、おそらく、おれは、それを十分に共有できていないのだろうと思う。

そもそも世の中で起こっていることがほとんどわかっていないおれは、ローカルではない、この世界、あるいはこの時代のコンテクストすら共有できているかどうかわからない(とはいえ、知らずのうちに巻き込まれているのが、時代の文脈というものなのかもしれないが)。たとえば今年、何だか知らんが感染症が流行っているらしいが、おれがその感染症について知っていることはといえば、それが感染症であるということ、それが世界的に流行っているらしいということくらいである。おれはそれらについて何にも知らないから、それについておそれを抱くことも、反対にその脅威を過小評価することもない。そもそもどのような反応が適正なのかもわからない。とにかく、何だかそれが原因で大騒ぎになっており、この大騒ぎをさらなる大騒ぎにしないために、公になされている指示にひとまずのところしたがっておくことくらいしか、おれにはできない。つまり、できるだけ人から離れて、マスクをつけろという張り紙がされているところではマスクをつけるようにして、アルコールでの手指消毒を要求しているところではそれにしたがうくらいである。それ以上におれに何ができるというのか。大切な人を守るためとかなんとかいうキャッチコピーだか何だか知らないが、そうした徳の高そうな言葉とともに、先述したような指示(つまり、人と距離を取れとか、マスクを身につけろとか、アルコールで手指を消毒せよ、といった指示)をされることがあって、大切な人なんていないおれは、誰のためにその指示に従うのだろうか、とか思うんだけれど、ひとまずおれは自分自身が大切だということにして、それらの指示に従うことにしている。そういえば、大学からも、何だか接待を伴う飲食店をはじめ、人と接触する機会の多いバイトは控えるようにとかなんとかいったメールを受け取ったような覚えがある。となると、やっぱりおれは今は働くべきではないのだろうか。おれは無駄に消費されていく日々を惜しんでいる……のかどうかわからないが、なんだかおれは少しずつだめになっている気がする。いや、もともとおれはだめな人間だった気もする。……

*1:つまり、2020年の7月23日から7月26日までが休みということらしい。