白昼夢中遊行症

このごろのわたしについて

昨日でいちおう大学の講義がすべて終わり、一日の予定が完全に空になった。予定がなくなってようやく、自分でゼロから予定を立てて何かをしようという気になる。いや、予定なんて立てないんだが、とにかく、当面の間予定が何もないという状況のほうが、おれは何かをしやすいのだ。ここでの何かというのは、期末のレポートだ。おれはようやく、期末のレポート課題に手をつける気になった。手をつけさえすればあとは手を動かすだけである。そして、当面の間予定がないのだから、手を止める必要もない。少なくとも、生きるために必要な用事以外に気を割く必要はない。おれが何かをしようというときにその妨げになるのは、たいてい、翌日とか週明けとかの予定である。授業の予定があると、それに出るために体制を整えなければならない、ちゃんと寝ておかねばならないなどと思う。そうした思いが、おれをむしろ眠れなくするのであり、何かをしようという気を削ぐのである。

しかし、当面の間は予定も何もないわけだから、おれは心置きなくやりたいこと、しなければいけないことをできるのである。心置きなくというのが重要なのだ。おれは何かに集中するとき、それ以外のことに構っていられなくなる。しかし、いつでもそれでやっていけるわけではないし、むしろそれではやっていけない場合のほうが多い。先ほどから述べているように、授業はその一例である。リモート講義であっても、出席が必要な講義があって、そうした講義には出席しないといけないのであって、出席のためには出席できる状態に自分を調整しておかねばならない。すると、自分がやりたいこと以外のことに構わなければならず、そうするとおれは何にも集中できないのである。おれが何ごとに対してのやる気が出ないということの一つの要因はこれである。あとは、単におれが怠け者であるということやらなんやらである。

おれは今日は、11時に起床して、12時に松屋で牛飯を食べ、12時半から13時くらいまでシアトル発のコーヒーチェーン*1でコーヒーを飲みながら本を読み、食料を購入して14時半くらいに帰宅し、それから2時くらいまでレポート執筆のための作業をしていた。おれにとってはひさびさの、理想に近い一日の過ごし方だったと思う。あとは、全体的にタイムスケジュールを4時間くらい前倒しにすれば完璧だ。大学生は長期休暇になると生活が乱れるというが、おれの場合、どちらかというと長期休暇のほうが規則正しい生活を送ることができる。おれは、何かに合わせようとすると余計にそれに合わなくなるので、決まった講義のスケジュールというものがあると、それに合わない生活になる。そうではなく、おれの生きたいように生活するようにすれば、自然とおれの理想的な生活スケジュールに近づくのである。

……とかなんとか言っているが、そうした傾向があるような気がする、というだけであって、実際におれがそういう人間なのかどうかはまだははっきりとは分かりかねているのだが。しかし、春休みに一時期、とても理想的な生活習慣になっていた時期があって、その時期にはたしかに、おれはとにかく自分のしたいようにしていただけなのである。それは一日18時間くらいぶっ通しでゲームをやって10時間眠るという生活をしていたあとの時期だった。これもこれで自分のしたいようにしていた訳だが、そうした生活に飽きてきて、ゲームをすっかり辞めたら、今度は自分でも驚くくらいにお手本のような一日を送るようになった。毎日だいたい7時くらいに起床して、牛乳を350ミリリットル飲み、シリアルを食べ、読むのに時間のかからない本を一冊読み切って、それが終わると勉強して、一段落つくくらいに昼飯時になっているので(信じられないことに、まだ午前中なのだ!)松屋で牛飯を食べて、外出ついでに散歩して、食糧を買って帰宅し、読むのに時間のかかる本を読み、シャワーを浴びて晩飯を食べて、また本を読むか、もしくは日記を書いて、歯をみがいて、日付の変わる前には眠るのである。おそらく、大学を出ればもうこんな生活をすることもなくなるのだろう。次にこのような生活をするとすれば、自分の人生にそろそろピリオドを打つと決めたときだろう。おれはその期間にするべきことをいろいろと決めているのだが、それはとくに生活を規定しない。とにかく、おれは自分の存在を完了させる前に、それを滞りなく済ませられるようにと一定の手続きを決めていて、それを実行している間はそれだけに集中していればいいようにしているのである。なので、その時期には、またお手本のような生活を送ることになるだろう。まあ、何にせよ、おれは何にも強制されていないときの方が自分自身をコントロールできるのかもしれない、そんな気がする、というそれだけの話である。

*1:こう言うとなんだか洒落た感じがするが、要するにスターバックスである。