白昼夢中遊行症

今年はもう古本を買うことはないだろう

先日読み始めた蒲松齢『聊斎志異』を読み終えた、と思いきや、読み終えたのはその上巻のみであった。面白かったので下巻も読もうと思い、家の近くの古本屋に行った。上巻を買ったところなので、下巻も置いているだろうという安易な考えだったが、当てが外れた。まあ、ふだん続き物の本を購入するときは全巻まとめて購入するようにしているのに、上巻しか購入していなかったということは、まとめて買えなかった理由があるのだろうなと薄々気づいてはいた。何も買って帰らないというのもつまらないので、何冊か本を買っていくことにした。

この店は本が多すぎて、人間の客が立ち入ることができるのは店全体のスペース(もとある本棚や作業代は除く)の2割ほどだ。2割もないかもしれない。その他は本棚からあふれ出した大量の本に道が塞がれている。おれがこの街に越してきたときは、3割から4割くらいは通行可能だったが、そこからさらに本が増えている。店主曰く、このあたりで高齢者が亡くなると、遺品整理で蔵書をここに買い取ってもらうらしい。なので、見ることのできるエリアは少ない。

以上の4冊を選び出し、店主に渡す。店主は最初に『父と子』を手に取って、裏表紙をめくる。遊び紙に鉛筆で書かれている「¥300」という文字を見る。次に『Carver's Dozen』を手に取って、裏表紙をめくる。何も書かれていない。この店にはあまりにも本が集まりすぎているせいで、値段がついていない本が多い。それで、後の二冊にも何も書いていないと見当を付けたのか「1冊300円プラス消費税でどうか」と店主が言う。おれはそれでいいと言って、5,000円札と小銭を320円ぶん出す。ピン札の1,000円札が4枚帰ってくる。袋(一枚5円だか10円だか)には入れてもらわずに、そのまま本を手に取って、家に帰った。家に帰ったあと、そういえばと思い、『孤独な散歩者の夢想』の裏表紙をめくった。やっぱり、そこには「¥200」と書いてあった。とはいえ、店主が300円といえば300円なのだ。そしておれはそれに納得している。

さて、そもそもの目的だった『聊斎志異』の下巻はどうしようか。これは絶版になっているわけではないので、大きめの本屋に行けば手に入る。しかし、最近の岩波文庫は値上がりしている。1998年の第6刷は本体価格760円だった(ちなみに、古本としての値段は450円だった)のがいま、Amazonで調べると税込み1,177円だった。まあ、出版業界も苦しいだろうし、やむを得ない値上げなんだろう。とはいえ文庫本が1,000円を超えると途端に手に取りにくくなる。ちょっと遠いが、他の古本屋に行くのもありかもしれない。あるいは、図書館で借りるか。しかし、版元を支えるという意味で、買ったほうがいいのかもしれない。今年の6月にも、学術系出版社の創文社が力尽きたばかりだ。岩波書店も、そうなる可能性は限りなく低いにしても、絶対にそうならないとは限らない。自分の趣味に合う本を出していたり、装幀が気に入っていたりするものは、少なくとも自分が生きている間は生き残っていてほしいような気がする。そのため、本屋で買うようにしたほうがいいのかもしれない。絶版になっているものに関しては、古本で手に入れるほかないのだが。たとえば新潮文庫の翻訳ものなんかは絶版しまくっている。机の横にある本棚をみても、そこにあるサガンの『心の青あざ』とカミュの『カリギュラ・誤解』、『太陽の讃歌』なんかは絶版になっていて、同じ著者の本のそでに書いてある著書リストからも抹消されている。いま刷っても売れないんだろうな。それならしょうがない。

でまあ、ともかく『聊斎志異』の下巻は読みたいので、どうにかして読むことにする。もともと短編集で、しかも抄訳なので読まなくてもキリが悪いような感じはしないし、モヤモヤすることもないのだけれど。

聊斎志異〈下〉 (岩波文庫)

聊斎志異〈下〉 (岩波文庫)

  • 作者:蒲 松齢
  • 発売日: 1997/02/17
  • メディア: 文庫

今日買った本も、なるべく積んでしまわないように、読む努力はする。