白昼夢中遊行症

断想

日記を書こうと思い立ち、ふと今日の日付を見ると3月。あれ、もう3月なの? 2月短くね? あと2日か3日くらいあると思っていたんだけど。どうもおかしい。なんだか誤魔化されている気がする。

誤魔化されている気がするんだが、こういうとき、どこに問い合わせればいいのか分からないので、気付かなかったことにして今年も事なきを得る。まあ、どうせ誰かがどこかしかるべきところに問い合わせてくれているだろう。そんなことより、この季節になると鼻水が止まらなくなる方をどうにかしてほしい。しかし、この件について公式の声明はいまだなし。いったい何年放置されているんだ? この不具合は。ひとつの生物種を根絶やしにしてしまえば済む話じゃないか。それとも、そんなに簡単に解決できる問題じゃないのか? ならばせめて補填を求む。

……とか言ってみたけど、最近はほとんど外に出ていないので、それほどひどい状態ではない。毎日鼻血が出るくらいだ。外に出ていないのは、卒業論文の要旨を書いているうちに昼夜逆転したからだ。一度こうなってしまうと、なかなか元には戻らない。引っ越しの作業には、昼間に起きている必要のある作業がいくらかあるんだが、手付かずのままだ。

おれはなんだかんだ言って朝型の人間で、少なくともいちばん頭が回るのは太陽が登っている時間だ。正午を過ぎて、太陽が沈み始めたら、次第に気が散りやすくなって、というか、特にこの季節は何ともなしに外に出たくなって、何の用事もなしに、あるいは、何か用事を作って外に出るのだ。それで暗くなるまでその辺りをぶらぶらして、家に帰ったらだらだら酒でものんで本を読んだりゲームをしたり、あるいは映画やらアニメやら何やらを見て、日が変わる前には眠りについているのだ。おれは、基本的にはそういう人間なのだ。

ところが、何か文章を、それもレポートとかそういった類の文章を書かなければいけないとき、おれは決まって徹夜する。これはもう、体に染み付いた、一種のルーティンのようなものになっている。といっても、夜の間はいっさい手を動かさない。何度も見ているアニメを流して、眠気を覚ましながら、ずっと起きている。そうして、東の空が明るくなってきた頃に、ようやく手を動かし始めるのだ。それからは、終わるまで手を動かし続ける。ここでの眠らないようにして夜を明かす行為には何の意味もない。アニメを見ながらぼんやりと構想を練っている、というわけでもない。しかし、なぜだか、そうしなければ始まらないのだ。

そのようにして、おれは毎回、気を抜くとそのまま意識がなくなる状態でレポートを書いている。それでいいものが書ける、はずがない。しかし、そうしなければ書けないのだ。たぶん、大学生になって初めて書いたレポートが、そうした状態で書き上げられたものだから、それ以降も同じようにしなければ書けなくなったのだろうと思う。おかげで、おれは大なり小なり、レポートを課されるたびに、昼夜逆転する体質になってしまったのだ。

最近は、朝の6時に眠り、14時に起きる生活をしている。今日もその辺りの時間に眠ることになるだろう。しかし、今日の午前の時間に、荷物の集荷を依頼しているので、おれは眠っている時間に起き出して、それに対応しなければならない。これは生活リズムを直すために、さらに掻き乱してやるという、おれの中では定番になっているやり方だ。正しい時間に眠れさえすれば、正しい時間に起きることができる。この状態で正しい時間に眠るためには、四六時中寝不足の状態を作った上で、正しい時間に緊張を解けばいい。そうすれば、眠るべき時間に眠ることができる。

引越しのための作業は、順調ではないが、少しずつ進んでいる。まあ、今のペースでは間に合わないだろうな。そんな感じだ。

自分が5年近く暮らした空間から、自分の居た痕跡を自分の手で少しずつ拭い去っている。作業をしていると、何だか奇妙な心持ちになる。昼夜逆転している都合で作業は夜中に進めているので、夜の静けさも相まって、突然、感傷的な気分になることがある。昔の日記やらノートやらを読んだりして、今の自分とは違う、自分の文字を見る。すると何だか込み上げてくるものがある。これは何だろうな。分からんが、少なくとも笑いではない。

今日は家具を一つ解体して、もう一つに取り掛かったときに、限界がやってきて、手を止めた。静かさに耐え切れなくなった。ちょうど、飲水がなくなっていたので、コンビニへ行った。電子マネーで支払うという旨を店員に伝えたとき、ふと「おれはもう何日も声を出していなかったのではないか」と思った。実際には、ここ数日、何度かコンビニへ行って、同様のやりとりをしていたし、今日は、というか日付の上では昨日は、掃除用具を買いに雑貨屋へも行ったし、そこでも袋は必要か云々のやりとりをしていた。

しかし、そんなものだ。最後に会話らしい会話をしたのは、たぶん、2月20日に髪を切りに行ったときか。おれはそこで、いつも通り、もみあげと襟足を6ミリに刈り上げてもらい、全体的に軽くしてもらった。ついでに眉毛も整えてもらった。粗品のマスクとカイロとのど飴をもらった。シャンプーをしてもらって、晴れていたので、整髪料でセットもしてもらう。色々面倒なので、普段は整髪料なんてつけないのだが、してもらえるのなら、してもらう。とはいっても、雨が降っていて、どうせ崩れる、というときは断る。これもいつも通りだ。いつも通り、天気についての会話をする。今年は四六時中マスクをつけているので、例年と比べて花粉症の症状は穏やかだ、とか何とか言った気がする。実際、今年はましだ。毎日鼻血が出るくらいだ。口呼吸しかできなくなって、そこから風邪をひく、というような、なったことがあるような無いような、比較的悪いケースと比較すると、ずいぶんましだ。

そのときの施術は2階で行われた。そこは普段はネイルサロンとかヘッドスパとかやっているらしい。ところが昨年からは人口密度を減らすために、普通のカットでも使うようになったのだ。そんな話を聞いてはいないが、たぶんそうなのだろうと、おれは勝手に思っている。2階で髪を切ってもらうのは2度目で、1度目の頃は施術後、会計を行うために1階に降りようとする際、2階の出入り口の段差で躓いた。そのことを覚えていたので、おれは足元に気をつけて1階に降りる。会計をする。4千円から5千円の間の額を支払う。1万円札と幾らかの小銭で支払う。担当の人が「次の予約、取っときますか」と尋ねる。おれは、いつもと異なる答えをする。「来月地元に帰るので」と。担当の人は、もうそんなに経っていたのか、と驚いたように何度も繰り返す。おれはそのひとつひとつに、本当ですね、と相槌を打つ。そんなやりとりをしながら、いつものように見送られて、おれはその店を後にした。

お題「#この1年の変化