白昼夢中遊行症

断想

大学を卒業して、両親の家に舞い戻ってからひと月半。大学の卒業式には出席しなかった。出席しなくても済むようになっていた。事前に申請しておけば、学位記を郵送してもらえるようになっていた。なので、大学の敷地に足を踏み入れる必要はなかった。卒業式の当日か、翌日に、学位記が簡易書留かなにかで届いた。中身が確かであるか、確かめるためにそれをひと目見た。それによると、たしかにおれは大学を卒業したらしい。しかし、こんなもの、持っていてなにになるというのか。そんな気持ちだった。そんなものよりも、学生証のほうが、身分証明書になるので、よっぽど有益だった。いまのおれには、写真付きの身分証明書がひとつもない。いまのおれの身分を保証してくれるものは、親の名前が書いてある保険証と、学生向けのクレジットカード。写真付きの身分証明書がないおれは、これらの二枚どちらもを見せてようやく、渋々ながら納得してもらえる。なるべく早く就職して住むあてを見つける、という話を親にはしたものの、就職活動はまるで捗っていない。国か自治体か、あるいはそのどちらもが共同でやっている就職支援団体みたいなやつに登録だけしに行ったが、今のところそれだけだ。このままではまずい、ということは重々承知しているが、どうにも腰が重い。だって、いまは食うには困っていない。この考え方では、あとあと地獄を見ることになるだろう、というのはぼんやりと認識している。親のスネをかじり続けたあまり、気まずくなって引きこもり。親が死んで路頭に迷うか、あるいは、食うに困って軽犯罪を繰り返すようになるか、もうそれしかないと信じ切って首括るか、などなど、未来の可能性は開けている。それでも、いまこの瞬間に楽できるほうへ引き寄せられていくのがおれという人間だ。だからこそ、なんの志も立てないで大学へ進学して、なんとなくで自分に合わない部活動に所属して、そこでの人間関係にうんざりして、学部でも何にも興味を持たない人間として異質な存在となり孤立して、そうした、まったくしょうもないことで精神を疲弊させ、挙げ句の果てに大学を休学し、そこがおれの人生の転機になったかもしれないのに、結局、決断できずに、大学に舞い戻って、それ以前よりはすこしまともに勉強するようになりはしたが、それでもやっぱり、ここはおれのいるべき場所じゃないな、という思いが強くて、それだから、指導教員とも良好な関係を築けず、おれにとって唯一、大学へ行ってよかったと思う理由になっていた、図書館にも行かなくなって、ほとんど本もよめずに、毎日毎日、日一日横になって、夢とか空想とかに埋没して過ごした五年間に、何の意味もなかったよな、と詰るおれの声が、いつもいつも聞こえてくるのだ。「学生時代に最も打ち込んだこと」「学生時代に経験したうれしかったこと」「なぜそれがうれしかったのか?」「学生時代の経験で苦労したこと」「その苦労を乗り越えられたのはなぜか?」「友人間でのあなたの役割は?」「その役割が発揮されたエピソードは?」「学生時代の経験から分かった自分の長所は?」「短所は?」「趣味や特技」「その魅力は?」「得意な科目」「あなたが影響を受けた人・言葉」そんなことを質問してくる自己分析シートとやらを、就職支援施設的なところの職員の人から渡されて、まったくなにも思い浮かばずに過ぎた、このひと月いくらか。いや、まったく思い浮かばないわけじゃないか。でも、学生時代に最も打ち込んだことはなにか、という質問に対して、「みだらな空想です。それに費やした時間では、誰にも負けない自信があります!」なんて答えて、それを真面目に受け取ってくれる人がいるのだろうか。そもそも、費やした時間はともかく、その空想の内容は空虚そのものだ。だからそれについて語れることはといえば、何もない。かといって、「読書です」とか「因果性についての哲学的な探求です」だなんていったら嘘になる。それも、すぐばれる嘘しかつけないくらいにしか、それに打ち込んでいない。読書に関しては、五年間で読んだ本の数は300あるかないか(たぶんない)くらいだし、因果性に関しては、ヒュームの書物すら読んでいない。そんなのだから、おれは卒業論文を提出して、受理されはしたものの、自分が大卒という経歴を背負うに値する人間であるとは思われないし、なんならそれは身に余るくらいだから、上の方でも言ったように、おれは学位記が自分のもとに届けられても、それにあまり興味を示さないどころか、自分の手元から遠ざけた。一応、卒業証明書だけは持っている。捨ててしまっても、再発行すればいい話だが、就職するときには(しかし、おれは本当に就職するのか?)たぶん必要になるので、わざわざ手間を増やすこともない、と思って手元に残している。学位記は父親にくれてやった。そうでなければ鍋敷にでもなっていただろう。

ここ最近は、毎日毎日、朝起きて、飯を食べて、本を読んで、飯を食べて、散歩して、本を読んで、飯を食べて、風呂に入って、眠る。そんな生活だ。悪くない生活、なんだろうな。おれは、たぶん精神的にも安定しているし、肉体的にも健康だし。でも、それでも、心のどこかに、なんかボワボワしたものがある。喉元にイガイガしたものもある。言葉にならない気分が、おれの周りに立ちこめて、おれとおれの周りの人間をちょっと憂鬱にする。家庭環境も、それほど悪くはない。しかし、良好だとはまったくもっていえない。そんな家庭だ。諍いはあまりないが、会話もない。おれは地元に友達のいない人間だから、なんでも話せる間柄、というのもここにはいない。ちょっとまえに友人から電話がかかってきたが、彼のいる土地は、おれが少し前にさよならしたところだった。彼はそこに永住することになったらしい。それじゃあもう会えないかもしれない。彼はそれでもやっていける人間だ。友達の作りかたを知っている人間だからだ。おれとは違って。でも、それよりも前に聞いた話じゃあ、むしろおれのいま住んでいるところからそれほど遠くないところに住むって話だったじゃないか。しかし、ここ一年のごたごたで、状況は変ったのだ。状況がいくら変ろうと、おれという人間は、とりわけその弱さは、ずっと変らないままだ。まったく、嫌になるな。おれはずっと黙っている。おれから言葉がなくなっていく。