白昼夢中遊行症

その残像を見ている

卒論も、時期的にはいよいよ大詰め、おれ自身はようやく書き始め、というところで、ちょうどそのころサービス開始されたスマホゲームをはじめた。そのゲームには複数人のプレーヤーが集まって一つのまとまりを作る仕組み、いわゆるギルド的なやつがあって、おれも数あるそれらのなかの一つに所属した。ひとつめのところは、その日のうちに脱退した。初日にも関わらず、だれもプレイしていなかったから。勧誘を受けて、ふたつめのところに入った。人が集まらなくて、解散した。そしてその次に勧誘を受けたところに、おれは腰を落ち着けることになる。おれは105日もそこにいた。いくらかメンバーの入れ替えがあったので、最終的には古参のひとり、ということになった。

そこは、わりと緩めの雰囲気でありながら、もともと他でつながりのあるらしい人たちがちょこちょこと雑談していたり、軽く集まる時間を調整したりしていた。そうしながら、ゲーム内のマルチプレイのコンテンツをゆるゆるとこなしていた。煩すぎることもなく、静かすぎることもなく、おれはそこにいることで、ほどよく孤独を紛らすことができた。それが、このゲームが続いた理由のすべてなんだと思う。

おれはスマホゲームにはあまり興味がない。(あまり興味はないと言いつつ、色々やっているんだけれども。)最近話題の、というか、もう熱も冷めてきたのかな? 『ウマ娘』も、ひと月と少しプレイして、もうやることがなくなって放り出してしまった。『ウマ娘』にも、プレーヤー同士の集まり、というのはあるにはあったが、それがコンテンツの中心を占める訳ではなかった。なので、たいして連携や連帯は必要とされず、したがっておれの孤独を埋めることもなかった。これが、このゲームが続かなかった理由のすべてなのだと思う。

おれはいま、世界との間にいかなるつながりも持っていない。世界と、という言葉が大げさなら、社会と、ということにしておこうか。おれは就職することなく大学を卒業して、社会との接点に関して丸裸の状態で放り出された。両親の家に転がり込んだので、なんとか生きていくことはできる。しかし、それもまずかったのだろう。生きるのに必死になれなければ、人は身動きを取れない。おれは就職活動もアルバイトもしていない。ゲーム内の繋がりといえど、おれにとっては唯一の世界に対して開かれた窓だった。

思えば、高校最後の登校日も、なんだか家に帰りかねて、ずっと教室に残っていたっけ。クラスに友達は一人もいなかったし、それゆえそれを構成する人たちにもそれほど愛着を抱いていたわけではない。そのつもりだったのだけれど、3年間まったく同じメンバーで過ごしたその集まりを、いつしか愛おしく思うようになった。そしてその集まりを通して、おそらくおれは、そのクラスを構成する人たちのことも、少しは好きになれていたんじゃないかと思う。

いま、おれはそのゲームで、だいたい同じ状況に置かれている。その集まりの主を務めていた人が、最初にそこを離れていった。解散の仕方がわからない、ということで、主の地位を別の人に明け渡したうえで、そこを去っていった。なのでいまだに、集まりの外枠だけは残っている。でも、やがて他の人も去っていくのだろう。おれはそこを出ていきかねている。本質をなしていた一人がそこを去った、ということで、もうその集まりは存在しないのにもかかわらず、おれはいまだにその余韻に浸っているというか、残像を見ている。消えて無くならないように、じっとそれを瞶めている。

今週のお題「おうち時間2021」