白昼夢中遊行症

ホットペッパービューティーを使ったことのある人生

生きていれば、髪も伸びる。なので髪を切りに行った。なんでか知らんが、ホットペッパービューティーで使える、期間限定のポイントが発行されていたので、ホットペッパービューティーから予約を入れる。予約したのは2日前だった。それまで美容室の予約を入れるのにホットペッパービューティーを使ったことのなかったおれは、これでほんとうに予約できたんだろうか、と気が気でなかった。

およそ二キロメートル離れた美容室まで歩いて行く。予約時間の10分前に着く。扉を引く。閉まっている。あれ、早く来すぎた? 30秒くらいして、店主が慌てて扉を開けて、おれに店の中に入るようにいう。おれを店に入れながら、店の電気をつける。おれは店に入る。待合席みたいなのに座って、店主が店の準備をするのを待つ。店主がアンケート用紙みたいなのを渡してくる。それに記入する。名前とか住所とか、電話番号とかメールアドレスとか。あと、この店を何で知ったか。書き終えたら、店主はそれを受け取りに来て、荷物を預かっておきましょうかとおれに尋ねる。おれはお願いしますと言って財布と『ジョン・レノン対火星人』の入ったサコッシュを渡す。店主はそれを預かると、おれを散髪用の席へ導く。

おれはスタイリング・チェアに腰掛ける。店主がおれにどんなふうに切って欲しいか尋ねる。おれは答える。ざっくりと。もみあげと襟足は短く刈り上げてほしいということと、全体的に毛量を減らしてほしいこと以外にとくにこだわりはないが、細かい仕上げについても聞かれるので、その時の気分で答える。店主は霧吹きを片手に切りはじめる。この人は霧吹きで髪を湿らせながら切っていくタイプの人らしい。それほど多くの美容室に行ったことのなかったおれは、今までこのタイプの人にあたったことがなかった。だからどうという話でもない。店主はおれの髪を切りながら、おれに何やら話をする。おれは店主に髪を切られながら、店主に何やら話をする。あいにく、おれには天気の話のほかに会話のストックはなかったのだが、なんとか間をもたせようとした。大学に行くために地元を離れていたこと、大学を出て就職せずに帰ってきたこと、どうしても就職する気になれないのでひとまずアルバイトでもしようかと思っていること、アルバイトを始めるにしても髪を伸ばしっぱなしではやる気が出ないので髪を切ることにしたということやら何やら。店主の地元は北海道であるとか、娘が(息子だったっけ?)中学生であるとか、いずれ大学生とかになったら自分の元を離れるのかもしれないと考えると寂しいような気がするとか、アウトドアが好きだとか、店主のほうはそんなことを話していた。おれはへたくそな相槌を打ちながら聞いていた。へたくそな相槌でも、自分の話をするよりはまだ上手なつもりだ。

そんなこんなで、ある程度切り終えたらしく、シャンプー用の席へと移るように言われる。おれは店の奥にあるその席へ腰掛ける。大学生の頃に通っていたところと違って、そのシャンプー・チェアは電動でリクライニングするものではなかったので、初見だったおれはこんなのもあるのか、と珍しく思った。シャンプーをしてもらう。シャンプーの種類はよくわからんかった。水温は高めで、これはおれ好みだった。シャンプーが終わると元の席へまた戻り、髪を乾かして、仕上げにまたちょっと毛先を切られる。

「普段ワックスとかつけますか?」

「いや、つけませんね。あんまり好きじゃないので」

おれは、ワックスで髪が固まるのと、匂いがつくのとを好まないので、ワックスをつけることは滅多にない。滅多にないので、つけかたも忘れてしまった。

「今日はどうします?」

「せっかくなのでお願いします」

でもまあ、髪を切った日くらいならいいか、とも思う。おれの中では、美容師にとっては髪のセットまでがひと仕事だということになっていて、仕事は最後までさせてやるのが礼儀ということになっている。なので、美容師がワックスをつけたがっていたら、雨が降っていて傘を持っていないという日でない限り、ワックスをつけてもらうことにしている。セットが終わると、最後に襟足の様子を鏡で見せられた。

「こんなふうになってます」

「ふむ」

「これでいいですか?」

「はい」

ここで「いいえ」と言ったらどうなるんだろうか。

今日は「いいえ」とは言わなかったので、これで終わりだ。財布と『ジョン・レノン対火星人』の入ったサコッシュを返してもらう。持ってきた本、読む時間なかったな。料金のうちの2000円はポイントで支払うことになっていたので、残りを現金で支払う。2050円を支払い、お釣りに200円渡され、おまけにスタンプカードを渡される。どうやら4回目ご来店でメンバーズカードが発行されるシステムらしい。つまり、この店では4回目ご来店でようやく一人前の客、ということなんだろう。おれはこの店にまた行くのだろうか。まだわからん。おれは釣りとスタンプカードを受け取り、店を出る。そして来た道とは違う道を通って自分の寝床に帰っていった。