白昼夢中遊行症

断想

休日って、いったい、なんなんだろうな。いったい、なにをしてやり過ごすのが、正解なのだろうか。それがわからなくて、いつも、調子が狂う。

といっても、今日という一日に、なにか不満があったわけではない。今日は、途中まで読んでいた本を一冊読み終え、読みはじめたもう一冊が、すらすら読めたので、それも読んでしまい、次の一冊に取り掛かった。書店で新たに二冊の本も買った。次回以降に買う候補とする本も、新たにできた。

途中まで読んでいたのは

で、今年の春、細かくいうと5月7日に丸善で買った。この本を買った動機は、よくわからない、それまで、保坂和志という小説家のことは知らなかった。名前すら、覚えがなかった。しかし、そのときは、そういうものを求めていたのだろうか。あるいは、中身を見て、何か感じるところがあったのだろうか。それとも、「言葉の外」という言葉に引っかかったのか。まあ、それはなんでもよい。結果的に、そこそこ満足だった。中には、自分の関心の外にある話題や、考え方に相容れないようなところがあったり、そもそもエッセイなのに人に読ませる書き方をしていないのではないか、と感じたりしたけれど、なんというか、著者のたたずまいというか、書くことにたいする姿勢のような何かが、私の気に入った。

読み終えて、次に読み始めたのは

で、これも上記の本と同じ日に買った。橋本治は一冊だけ、ちくまプリマー新書から出ていた、憲法についての本を読んだことがあって、難しい話題について、平易な言葉で話すことのできる人、というイメージがあった。この本の主張は「本を読め」とのことで、これについては、「そんなんわかっとるわ」だけれど、この本の大半は経済の話をしている。著者が言うに、文学をやっている人は経済のことはからっきしで金勘定が下手だから、「不況」と「本を読むこと」を結びつけるためには、経済について詳しめに触れておく必要があった、とのこと。(と、書いてみたものの、そんなこと言っていたっけな? わたしは人の話を聞かないので、実際に書かれていたこととはすこし違っているかもしれない。)この経済についての話は、真にうけるべきものとして書かれているわけはなく、こういう考え方もできるよね、というレベルで書かれているのだけれど、なんだか納得感のある話になっている。この人の文章は、同じことを何度も繰り返してもくれるので、読んでいてあまり途方に暮れなくて済む。だからといって、まったく中身のないことを言っているわけでもないので、悪くない。「本を読め」という主張についても、「とっくにやっとるわ」とはいいつつも、本を読むことについて感じている、後ろめたさのようなものを和らげてくれるので、まったくの無意味でもない。

それから、新たにとりかかったのは

だ。わたしは普段、この手の本は読まない。学術書なんて退屈だし、「ソーシャルメディア」だなんて、なんかすぐに賞味期限のきれそうな……という思いもあった。それに、社会科学に対する「大半は似非科学だろう」という偏見もある。とはいえ、書店でパラパラと手にとって眺めたら、なかなか読みやすく、科学的にもしっかりしてそうだった。みすず書房だし間違いないだろう、と言ってしまえばそれまでな気もするが。で、気の迷いもあって買ってしまった。SNSについて、それは人の思想を過激化する「エコーチェンバー」として作用する側面があり、これが問題となっている。通説ではそうして過激化した思想は、別の意見に触れることで是正することができると言われているけれど、それって本当なのかね、というのがこの本の出発点となる。まだほとんど読み始めたばかりだが、だいたいそんなことを言っていた気がする。 わたしはSNSをまったくやっていないのだが(「まったくやっていない」というのは嘘である。実はこのブログに紐づいたtwitterアカウントがあるにはある。とはいえ日記の投稿時にたまに共有する以外は、地震があったときくらいしか見ない。作ったときは、もっと使い道があるものだと思っていたのだが……)、その理由として、どこを見渡しても過激派ばかりでうんざりするから、というのはある。そこで、どうしてこんなに極端な人たちが目につくのだろうか、というのは、わたしにとってまったく興味のない話題ではなかった。どうして自分がSNSにぜんぜん惹かれないのか、ということを考える足しになるのではとの思いもあった。これが期待通りかは、最後まで読んでいないのでわからないが、なかなか楽しく読めている。

まあ、なんだ。今日という一日に、不満があったわけではないのだ。でも、なんだかこれで良かったのだろうか、という思いが、ずっと付きまとう。

ついでに、今日買った二冊の本も、メモしておこう。

保坂和志を気に入りはしたものの、あえて小説は買わなかった。とくに明確な理由があるわけではないが、いくつか手にとって、おもしろそうだったのが、これだった。穂村弘のは、何年か前に書店で見かけて、面白そうと思いながらも、そのときは買わなかった本、それ以来、わたしの前に現れてこなかった本である。題名も著者名も覚えていなかったのだが、なぜかひょっこり出てきたので、これもなにかの縁だと思って、今日は買って帰った。

今日という一日は、こうして過ぎていったのだけれど、こんなので良かったのだろうか。もっと、わたしにはしたいこと、するべきことが、あったのではないか。本なんて、読んでいる場合だっただろうか。出かけるといっても、いつも書店にしか行かない。わたしの世界はいつも、とても限られている。これで良かったのだろうか。いや、わたしにしては、これ以上ない休日だったんじゃないか? どうなんだ? わからん。明日は仕事で、仕事がある日のほうが、ある意味で気が楽だ。しかし、この気楽さに甘んじているのも、これまた良くないよな。どうすりゃいいのか、わからんよ。それでも、どうにかこうにか、うまいこと、やり過ごしていかないといけないのだ。

新たに読む候補に入った本である。今日読んだ橋本治の本で、すこし都市と農村の関係について触れられていて、それを読んだあと書店を歩いていると、題名がそれっぽかったので手にとったら思いのほか読みやすく、面白そうでもあった。思えば、柳田國男をまともに読んだことはないので、試しに読んでみる、いい機会のようにも思う。読んだからといって、どうにかなる、というわけでもないけれど。