白昼夢中遊行症

「死んでしまいたい」

一日に何度なら、死んでしまいたいと思ってもいいんでしょうか? わたしは何度も、死んでしまったほうが、多くの問題が解決するのではないか? いや、そうに違いない、なんで考えてしまいます。でも、べつにそれを実際にするつもりなど毫もありません。ただ、わたしの個人的な問題を解決する、ひとつの案として浮上してくるだけです。ですがわたしはこの案を、浮かんでくる度に退けているわけでもありません。この案には、わたしを惹きつける魅力があります。わたしをとりまくいろいろな問題を、一度にすっぱりと解決してしまうように思われるのですから。だから、わたしは自分のことを考えるとき、いつもこの考えが浮かんできます。では、どうしてわたしはこの案を受け入れて実行に移さないのでしょうか。それどころか、そうするつもりは少しもない、とまでわたしは言いました。それはどうしてなのでしょうか。わたしはこの問いに答えることができません。わたしにははっきりとした答えがないからです。わたしは、死んでしまうことによる解決を、あまりエレガントではないと考えているのかもしれないし、わたしは自分の問題の解決を望んでいないのかもしれません。あるいは、死ぬのが怖いのかもしれません。死の恐怖など、それによって得られる解決と比べれば、ものの数に入らないのかもしれません。そうでもないかもしれません。分かりません。わたしが死を選ばない理由には、こんなことも考えられます。死ぬことが問題を解決するということが疑わしい、とわたしは思っている、と。いずれにせよ、わたしは今日まで、自死を選んでいません。もしかすると、わたしがそうして死を選ばないことの理由を知るために、死を留保しているのかもしれません。この世には理解できないことばかりあります。死んでしまいたいと思っても不思議ではない、とわたしは思います。だから、別に一日に何度、死にたいと思っても構わないでしょう。それを病気だという人もいるでしょう。言わせておきましょう。見方によっては本当に病気なのかもしれません。しかしそんなこと、気に病む必要はありません。気に病んでしまったら、それまで病気でなかったとしても、病気になってしまいます。そうなると、ほんとうに死んでしまいます。自分でそれを選ぶことなく。わたしは、それは嫌だな、と思うのです。だからわたしは一日に何度でも、死ぬことについて考えて構わないと思うのです。

今週のお題「マイルーティン」