白昼夢中遊行症

断想

生きづらさに言葉を与え、それによって気が楽になるなら、それは良いことだ。

しかしながら、何でもかんでもその言葉に負わせて、自分で戦うことを忘れてしまったら、それは無益どころか有害だ。

あくまでも、戦い続けないといけない。たとえボロボロになって、もう生きていけないと膝をつき、這いつくばっても。

とはいえ鬱は甘え、ではない。鬱は鬱だ。そして甘えは甘えだ。前者は医師によって診断される病気であり、後者は生きる姿勢の問題だ。鬱であり甘えている人もいれば、鬱であり甘えていない人もいれば、鬱ではないが甘えている人もいれば、鬱ではないし甘えてもいない人もいる。

鬱であるにせよ、ないにせよ、甘えた生き方は捨てるべきだ。戦いをやめることは、自分で生きることをやめることであり、自分で生きることをやめるということは、もう死んでいるのと一緒だ。死ぬ前に死んでしまうくらいなら、死んでもいいからそれまでは生きたい。