夏はいま、どこにいるのか
もういなくなってしまったのか
まだどこかに隠れているのか
ツクツクホウシの声を今年初めて聞いたのはいつのことだったか。 去年よりは早かったと記憶しているけれど、何月何日だったかは忘れてしまった。 記録しようとして忘れていた。 去年は8月30日だった。 それよりも早く、また週の前半 月曜日か火曜日。 候補となるのは18、19、25、26 その辺だ。
ここ最近はもう、セミの声を聴かなくなった。 ヒグラシは今年はまったく聴かなかった。 そもそもセミの数も減っているように感じる。 あんまり多いとうるさいので、その点では悪いことではないけれど 夏は暑さだけでは味気ない。
今年はセミが鳴き出すのも遅かったような気がする。 鳴きはじめの時期は去年の記録がないので気のせいかもしれないが、今年は7月7日だったと記録している。
その約一週間前である7月1日には、セミの声がなくて不安だとこぼしている。 セミは何年も土の中にいるという話から連想したのか 舗装路に塗り込められて出てこないんじゃないかと そんなことを言っている。
生まれる前に土の中で死んでしまうセミの話はこれよりも前にもしていたみたいで 6月11日に
「死んだ妹たちが言っていた。梅雨に降る雨は、土の中から出てこられずに死んだセミたちを想う涙なのだと」
なんてことを言っている。 これがなんの話なのかは見当もつかない。 わたしに妹はいないので 少なくともわたしの話ではない。 あるいは現実の話ではない。
梅雨といえば今年は梅雨が短かったんだったか。 もっともわたしが見ていたのは気象庁の仮の宣言で 正式にはもう少し遅れて、 結果的に今年の梅雨明けはいついつでしたと 過去形で語られる。
いったいなんの話だったか
夏はどこへ行ったのか
今年は理想的な夏を いや夏を生きているという実感を得るために ひまわりを見に行ったんでした。 6月には紫陽花を見に行っていたけれど それで花の気分になっていたのだろう。 市が運営している植物園に行った。
そこで目論見どおりひまわりを見たのだが、それだけのことだった。 なにか人生感を揺るがす衝撃も これでもう満足だ、死んでもいい なんていう感慨もなかった。 そこにひまわりがあっただけ。
なんて格好つけて突き放した言い方をしてみるけれど 実のところそこにはひまわりなんてなかった。 本当のことをいうと、植物園にも行っていない。 というのは嘘で、植物園には行ったし、ひまわりも見た それがいまではほとんど現実味のない遠い記憶になってしまっている。
それにひまわりって
夏といえば海じゃないのか
でもわたしは海をほとんど見たことがない
見たことのないものは信じられない
だからわたしには海が存在しない
少なくとも確かなものとして存在しない
いやほとんどということは見たことはあるんじゃないか
見たことはある
見ていないと辻褄が合わないような、行動の記憶がある
つまり、海が見えるようなところに行ったという記憶
しかしその記憶もあやふやで、まるで夢のように掴みどころがない
なんなら砂浜があるような、夏といえばないかにもな海は
それに隣接する記憶ともども存在しない
砂浜ってどんななんだ
走りにくいと聞いている
そこで走ってみたいものだ
泳ぐのは勘弁してくれ
昔から深い水が苦手だ
水着も着たくない
見るのも遠慮しておく
ただただ棒切れ持って砂浜を走りたい
それで疲れて倒れ込んで
そのまま砂になって波にさらわれて
もう誰もわたしを認識できないように
散り散りになって消えてしまえたらいいのに
夏はどこにいるのだろう
わたしは死ぬのであれば夏と一緒がいいのだけれど
夏はいつも気づいた時にはいなくなっているんだ
夏の姿が見えないからといって
もう秋だというわけでもない
秋の実感は夏を探そうという気持ちもなくなった頃に湧いてくる
特有の空気の味があったけれど
それがどんな味なのかはいつも
実際に味わったときに思い出して
そしてすぐに忘れてしまう
だから毎年秋が来たというその時はわかるのだが
その確信がどのように構成されているのかは不明確だ
とにかく
わたしは夏といっしょに終わりたかった
けれどわたしは
今年の夏も見失ってしまった
ああ、そういえば
夏祭り
年々寂しくなっていっているんだ
もうこの町に
夏祭りを楽しむ子供も
夏祭りを楽しませる大人も
いなくなってしまったから
仕方ないんだけどさ
みんなどこへ行ったんだろう
もうあの景色は戻ってこないんだろうな
あのときは子供も大人も
みんな外をうろつきまわって
普段は見ない隣町の子供なんかもいたりして
大人は大人たちでビールとか飲んで話し込んで
子どもは無心に、純粋に、後先考えず
遊んだり食べたりしてさ
そういうの、もうないんだろうな
花火とかももう
楽しむことなんてできずに
ただ迷惑だなんて思ってしまうような
そんな世界になってしまった
神が死んでしまったから
ただ意味のない
目も喜ばせるだけの娯楽と化してしまったから
もう花火なんて
単なる贅沢に成り下がった
夏祭りといえば
夏が終わる合図みたいなところがあったんだ
わたしが夏を見失ってしまったのって
夏祭りがなくなってしまったからなのかな
なんて、知らないよ、もう