白昼夢中遊行症

2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

断想

私が世界に求めている世界のあり方にかかわらず、世界というのはいつでもその通りのあり方しかしない。自らの視界をゆがめれば、自分の思うとおりの世界が見られるのだろうが、それでも常に、この世界はある一通りのあり方でしかない。しかし、それと同時に…

景色が見えないから

過去の日記というものは見ていて気持ちのいいものとは限らない。以下で引いてきたもののうち、特に後半のものは、ずいぶんと深く視野狭窄に陥っていた頃のものである。当時の私には健全な判断力というものがほとんど残っていなかった。今も私は健全ではない…

夢の話

ノート あのことを考えると呼吸が激しくなり、動悸が生じるようになったのはいつからでしょうか。気がつくと檻の中。どこにも逃げられない。ぼくは目を閉じて蹲り、耳を塞いで、それでも聞こえてくる声をひどく恐れた。頭がいたい。吐き気がする。いつからこ…

いつかの日記を振り返る

おれはなぜだか勉強の息抜きか、単なる現実逃避かで、過去に書いていた日記のデータを整理していた。おれは日記を紙に書くときもあれば、ワープロに書くときもあるので、まったく全部整理できたというわけではないけれど、以前よりも読み返すのが楽にはなっ…

断想

気づけば歩けなくなっている。これはどういうことか。原因は明白だ。酒を飲んだからこうなっているのだ。では、どうしてこうなるまで酒を飲んでしまったのか。何か具体的にいやなことがあって、そこから逃れるために酒を飲んで、前後不覚になるのならまだ良…

断想

バイトをクビになったあたりから、おれは密かに自らに禁酒を誓っていたのだが、知らぬ間にまた日常的に酒を飲むようになっている。 酒を飲むこと自体が悪いのではなく、酒を飲むことが自分にとって意のままにできないことになっているということが悪いのだ。…

断想

口を開けば、何にもする気が起きないとばかりいっている。実際、ここ最近なんにもやる気が起きないのだ。できることなら食って寝るだけの生活を送りたい。仕事に生きがいを見出すなんて幻想でしかない。仕事が奪われることに、食い扶持がなくなるという面以…

断想

そういえばもうすぐ今年が終わるのか。今年が終わるのかというのも不思議な言葉だ。今年というのはいつだって今年であることに変わりはない。それが終わるとするならば、「今年」と発言したおれ自身が死ぬときだろう。それはそうと、もうすぐ2019年が終わる…

断想

もう会うことはないであろう何人かの人間。かつては友人関係にあったともとれるかもしれない人間たち。彼らは実に生き生きと生きていた。自分の生に意味があることを信じて疑わなかったし、意味がなくとも意味あることにすることが正しいと信じて疑わなかっ…

断想

「歩き、夢を見る人間」 おれはこのブログを始めたとき、そう自分を表現していた。 あのときのおれは大学を休んでいて、寝ることと散歩することくらいしかすることがなかった。この二つがおれという人間を作るすべてであった。 不安が大きかった。それまで素…