白昼夢中遊行症

断想

そういえばもうすぐ今年が終わるのか。今年が終わるのかというのも不思議な言葉だ。今年というのはいつだって今年であることに変わりはない。それが終わるとするならば、「今年」と発言したおれ自身が死ぬときだろう。それはそうと、もうすぐ2019年が終わるらしい。

思えば、何も変わらぬ一年だった。おれ自身何も成長できなかった。なんなら、年の瀬になるたびに思うのは、おれは年々衰えていくばかりだということだ。今年より去年のおれの方がましな人間であったし、去年よりおととしのおれの方がよりましな人間であっただろう。おれは失墜を続けるばかりだ。何もできぬどころか、身につけていた徳を失うか、新たに悪徳を身につけるばかりである。こんな感じで生きていて、来年のおれはいったいどうなるのか。再来年は……? 落ちるところまで落ちたと思ったら、まだ下があるのだ。当然だ。スタート地点が、おれという人間の汚らわしさに反して恵まれすぎていたのだ。分相応の世界すらみえないくらいに恵まれていたのだ。いまだって、おれにふさわしい生い立ちが何だったのか分かっていない。

さて、2019年が終わるということだ。おれは密かに今年の目標として、本をたくさん読むことを掲げていた。何にも他人に利益をもたらすことのできない人間なのだから、せいぜい自分のためになることくらいはすべきだと思って、そうした目標を設定していた、のかもしれないし、そうでなかったかもしれない。もはや覚えていない。覚えているのはそういう目標を掲げていたということだけだ。そして、理由を失った目標というのは虚しい。で、どうだったのか。たくさん本を読めていたのかといえば、そうでもない。少なくとも月に10冊は、なんて考えていたけれど、まったくできなかった。

今年読まなかった本。一番に挙げられるものは、『カラマーゾフの兄弟』であろう。この本が、今年おれが挫折した最後の本であり、また、今年おれが読もうと試みた最後の本であるからだ。面白いとは思ったし、これからもっと面白くなる兆しもあった。けれども、一つの山場としてよく言われる、「プロとコントラ」の章の直前で読まなくなってしまった。おれは基本的に自分を低く見積もっているし、それでも過大評価であるくらいだと思っている。だから、面白い小説を読もうとすると、こんな面白い本を読んで良いのか、おれにはこの資格があるのか、などと思ってしまうのだ。というのは嘘で、ただ面倒になっただけである。月に最低でも10冊くらいは本を読むというのも、別に不可能ではあるまい。じっさい、最初の数ヶ月はそれ以上のペースで本を読むことができていた。本の内容や「読む」ということの強度はともかく。ただ面倒くさくなっただけだ。目標を持つことも、こだわりを持つことも。ただただ面倒なだけだ。

 

カラマーゾフの兄弟(上)(新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟(上)(新潮文庫)