白昼夢中遊行症

思案

Sonata su un Appunto (sul Diario)

私は今日、歯を磨きながらこのようなことを書きつけた。 日記を読んだところで、過ぎた日々がここに甦ってくることはない。したがって、日記を書いたところで、永遠の命が得られるわけではないのだ。永遠の命が得られないのであれば、人は、なぜ日記を書くの…

断想

日記を読んだところで、過ぎた日々がここに甦ってくることはない。したがって、日記を書いたところで、永遠の命が得られるわけではないのだ。永遠の命が得られないのであれば、人は、なぜ日記を書くのだろうか。

「私は戦争を支持しています」

誰も自分の思い通りになることが、少しでもあると思わなければ、戦争なんて起きない。戦争は愚かな人間の、浅はかな思い上がりによって起こるのだ。 だから、反省しないといけない。おれも、あんたも。 だって、おまえは不満に思うことがあるだろう? おまえ…

断想

書かない日々が続いています。 続いています。 続いていますね、書かない日々が。 書かないのか、書けないのか、書く気がないのか、いったいなんなのか。 そもそもなぜ、書くとか書かないとか気にしているのか。 この「なぜ」というところに、わたしがブログ…

断想

かつて通っていた中学校の校舎が、取り壊されて更地になっていた。中学生の頃のことについて、いまさら思い出すことなどないけれど、こうして私の過去の痕跡が、形もろともなくなってしまうというのは、寂しいものだな。私が通っていた小学校も統合されてし…

断想

「死にたい」と言ってはみるものの、死について真面目に考えたことはない。少なくとも実際に死のうと思った試しはない。死について、私は依然として抽象的にしか考えられず、私は「オー・マイ・ゴッド」と言うみたいに「死にたい」と言う。私が死について知…

目的に向かう姿勢の純粋さ

ここに何かを書くのなら、もっとちゃんと、自分の文章と向き合う時間を作りたい。なんて、思っていたのか、かねて思ってはおらず、いま思いついたのか、まあなんにせよ、うかうかしていると時間はほんとにすぐに過ぎていく。以前ここに何か書いたのが11月の…

日暮而塗遠

こんな時間になって、まともに考え事できるわけがないだろう? しかも、考えることは、真実ではなく、真実なしにどのように騙くらかすかだ。 自分のことについて、何か判断を下したり、何か行動を起こしたりするに際して、なにかと時間がかかるうえに、頭が…

断想

パヴェーゼの『月と篝火』を読み終えてしまった。わたしは、またひとつ、生きる理由を失くしてしまった。こうした喪失とともに時間が過ぎていき、たぶん最後には、何も無くなる。そのとき、人はどうなるのだろうか。

断想

生きるということは、常に引き裂かれているということ。その痛みが、生きることそのものであるなら、やっぱりそれは死以外に解決してくれるものはない。だから、死は救済であると感じるのを、視野の狭さだとか、ペシミズムであるとか、自殺の肯定であるとか…

断想

近頃は、もう、たいした文章を書けなくなっているけれど、まあいいや、なんて思うようになった。 別に、なんかうまいこと言いたいわけじゃないんですよ、もともと。 自分に求めているのは、なにかまとまりのあるものではなくて、とにかく、なんでもいい。 自…

独白

「だって、踏み出せなかったんだ。いつもぼくは、踏み出せないでいるのだ。そうやって時が過ぎて、人々が過ぎていったんだ。こんなに寂しいことがあるもんか。彼は、彼女は、無二の友達になったかもしれない。……かもしれない。そうだ、ぼくが不確かでおぼつ…

日常が回復しているらしい

「日常が回復している」そんな言葉を何度か耳にした。冗談じゃない。この連休、何度か用事があって街に出たけれど、そこで見た人たちはみな非日常の足取りだった。もとより連休はいつだって非日常だ。そこで出歩く人たちを見て「日常が回復している」なんて…

断想

横断歩道で信号待ちをしているとき、向かいから信号無視をして渡ってくる歩行者がいれば、おれは必ずその人をじっと見つめる。 別にその視線に非難の意味を込めているわけではない。 ただ、「おれは見ているぞ」と、そう思いながら、じっと見つめる。 「おれ…

断想

明日は出勤日だ。そしてたぶん明後日も。これからまた二か月の間は、土日祝日除いて、休みなく働くことになるだろう。土日祝日も、あるいは働くことになるかもしれない。働けば金になる。金があるのはいいことだ。 しかし、このところまた日記を書く習慣が戻…

今日はとても暑かった。

今朝、今日は暑くなると聞いていたので、いつもより薄着で出かけた。Tシャツに合繊のカーディガン。心もとないような気がしたが、それでちょうどよかった。外を歩いているうちは、それでも暑いくらいだったが、店の中だと空調が効きすぎて肌寒いこともあるの…

これは日記ではない

「純日記」という言葉は、「純粋ではない日記」というものの存在を示唆しているように思われる。そして、実際にインターネットで日記の体をなしているブログを見てみると、確かに「これは純粋な日記ではないな」と思うようなものは多くみられる、ような気が…

この文章はどこからが真実で、どこまでが嘘なのだろうか

昨晩、クラウドのいろいろなところに散らばっていたメモを整理していた。その際、少しだけ過去に書いた自分の文章を読んでいたのだが、なんというか、よくもまあこんなにいろいろなことを書けたものだと自分のことながら感心した。それと同時に、全然書けな…

断想

おれはいつでも過去に生きている。現在は苦しみそのものだし、未来もまた、まだ経験していない苦しみでしかないからだ。それに比べて、過去はもう過ぎたものだ。それが現在になんらかの影響を与えることはあっても、それそのものはもはやおれになんの危害も…

その残像を見ている

卒論も、時期的にはいよいよ大詰め、おれ自身はようやく書き始め、というところで、ちょうどそのころサービス開始されたスマホゲームをはじめた。そのゲームには複数人のプレーヤーが集まって一つのまとまりを作る仕組み、いわゆるギルド的なやつがあって、…

断想

おれは別れというものにまるっきり耐性がない。おれは人生でほとんど出会わなかった。だからこそ、別れというものが人一倍堪えるのかもしれない。例えそれがどんなに希薄なつながりでも、おれにとってはかけがえのないものだった。数少ない、外界に向けて開…

断想

大学を卒業して、両親の家に舞い戻ってからひと月半。大学の卒業式には出席しなかった。出席しなくても済むようになっていた。事前に申請しておけば、学位記を郵送してもらえるようになっていた。なので、大学の敷地に足を踏み入れる必要はなかった。卒業式…

このごろのわたしについて

昨日でいちおう大学の講義がすべて終わり、一日の予定が完全に空になった。予定がなくなってようやく、自分でゼロから予定を立てて何かをしようという気になる。いや、予定なんて立てないんだが、とにかく、当面の間予定が何もないという状況のほうが、おれ…

断想

しばらく何も書いていないと、書き方を忘れてますます書きづらくなる。どういうわけかこのひと月、この日記の更新が一週間以上途絶えたことがなかった。そのおかげで、まめに日記を書く習慣がついてきたような気がしてきたんだが、こうして一週間近く間が開…

2020年の203日目

おれは事前に書くことが決まっていると、かえって何も書けないタイプの人間だ。前の記録では、上半期の反省とか、下半期にやりたいことなどを、またの機会に書くかもしれないし、書かないかもしれない、といっていた。そういいながら、だいたいこういうこと…

2020年の200日めぐらい

今年*1もあと半分を切っているらしい。というのはもうすでに7月の初頭にも話したような気がする。今日はおれのところでは、たぶん今年初の真夏日で、いや、調べてみたらそうでもないらしいが、ともかく、夏かあ、とか思うような暑い日だった。 そんで、今年…

断想

おれはいかにして考えるということができているのだろうか、ということについて考えていたら、おれは自分が何を考えているのか分からなくなってきた。 おれは自分が考えているとき、何をしているのだろうか。というか、何をもって自分が何かを「考えている」…

断想

おれがいつでも眠れないのはつねに何かが気がかりだからだ。心配事は絶えず、それについて思いをめぐらせることをやめられない。おれがいつでも眠れないのは、その日になしえたことををいまでもしようという気持ちを捨てきれないからだ。おれは今日、少なく…

断想

本を読むには、それを読んでいるあいだ、その他のことをすっかり諦めなければならない。文章を書くには、それを書いているあいだ、その他のことをすっかり諦めなければならない。夜眠るには、その夜になしうる他のあらゆることをすっかり諦めなければならな…

あの夏のはじめに

このブログを開設して2年が経ったらしい。はてなからそんなメールが届いた。もっとも、開設してテスト用に非公開で一つ記事を投稿してから半年間はそのまま放置していたんだけれど。 bounoplagia.hatenablog.com この記事が、おれが最初に書いた記事だ。この…