白昼夢中遊行症

あの夏のはじめに

このブログを開設して2年が経ったらしい。はてなからそんなメールが届いた。もっとも、開設してテスト用に非公開で一つ記事を投稿してから半年間はそのまま放置していたんだけれど。

bounoplagia.hatenablog.com

この記事が、おれが最初に書いた記事だ。このとき、おれは大学にまったく出てこれなくなっていて、おれはまだどうにかしてやろうという気があったのか、それとももうほとんど自暴自棄になっていたのかは正確には覚えていないが、とにかく、夜通し酒を飲んでいて、そんなこんなで夜が明けてきて、その年初めての蝉の声が聞こえてきて、夏の訪れを感じるとともに、夏を通しておれという人生のすべてが走馬灯のように去来して……とまあ、そんな感じで書いたものだ。

これを機にブログでも始めようか、失意のただ中にいるいまならば、書くべきことはいくらでもある、なんて思いながらブログを開設したのだが、アカウントをとった所でもうどうでもよくなって、結局非公開のままで放置した。

それから大学を休学することに決めて、ちょうど夏休み明けから半年休むことになって、おれはこの時期を引き延ばされた夏休みだとかなんとか名付けていた。夏休みが引き延ばされたからといって、おれの先延ばし癖が治るわけでもなく、ただただ自分の運命について何度も自問して、そんなこんなで年が明けて、おれがこうしてブログを公開するようになった契機は何なのかといえば、特にこれというのもないのだが、強いていうなら、近づきつつある「引き延ばされた夏」の終わり、そして、祖父の死だろう。

おれはその頃、そのことばかりを考えていた。たとえば、こんな感じに。

こんなおれが、いったい四月から大学に復学して何ができるというのか。運よく大学生活を卒業までこぎつけた所で、その先に何があるというのか。しかし、このまま大学をやめたとしてもそれは同様で、どちらにせよろくな将来は保証されていない。そんなの、みんな同じではないかと人は言うかもしれない。その通りだ。しかし、保証されていない未来に向かって、みんな何かしらの指針を持っている。夢だとか目標だとかいうやつだ。おれはといえばそんなものはない。そして、あてもなく歩き回った先には絶え間ない無意味な苦痛と、終局としての死があるだけだ。

〔中略〕

おれはいつか死んで、だれかがそれを始末する。その前におれは何度、誰かの死を始末する側に立たされることだろう。死というのは何となく悲しい。生きていたことのあらゆる痕跡を死がどこかへ運び去ってしまう。亡き骸を見たときの何とも言えぬもの悲しさ。人生のむなしさ。おれもまた、こうして終わってしまうのだということ。生きているのがいけないのだ。生まれてしまったがために、死なねばならぬのだ。死の想念は生きるうえでのすべての幸福をもってしても克服できるものではない。すべての人生を全体としてみれば、どれも悲劇である。ならば生れなければ……。これ以上悲劇の幕を上げてはいけない。人間は生まれるべきではない。

無為に過ごす休日、少し先の不安と生きることのもの悲しさ - 白昼夢中遊行症

おれはとにかく不安だった。そして、初めて死を目の当たりにした経験が、その不安と重なって、いっそうおれを暗い気持ちにさせた。これをどうにか発散させるはけ口が必要だった。ブログを始める以前にも、紙のノートだとか、携帯のメモ帳だとかに思うところを書き出すようなことはしていたのだが、何か新しい形を欲していた。それで何かが変わることを願っていたのだ。

おれは自分を偽ることで自分で自分の首を絞めるタイプだということを知っていたので、この日記を書くにあたって、読者というものをまったく想定せずに書いている。というか、読者としては自分自身を想定して、それ以外の人間のためにはこれっぽちも書かないように努めている。これはいまもそうだ。それと同時に、これを読んだ人に何らかの形で利するようなことがあればそれはそれで悪くはないとも思っている。そういうわけで、対外的には、たまたま目について見に来た人が、こんな人もいるんだな、と人間についての知識を少し深めるくらいの存在感になるように、このブログを書くようにしている。

なんかちょっと話が見えなくなってきたな。何の話をしてたんだっけか、そうだ、おれの嫌いな夏がまたやってきた、という話だ。このあいだ、同じく酒を飲みながら夜を明かしたときにも、蝉の声を聞いた。これは正直幻聴だったような気もするが、とにかく、また夏が来ようとしている。おれが部活動に在籍していたとき、その部員の誰かが、おれのことを夏っぽい人間だと言っていたのを覚えている。おれのどこが夏なんだ? と思った。たしか、そんなことについて、何かしら日記に書き記していたと思う。

僕は夏が好きだ。いや、正確に言えば夏の終わりが好きだ。僕にとって夏という季節は、その終わりのために訪れていた。これがそのまま僕の生きる意味だった。僕は死にゆくために生きている。一時の繁栄が瓦解していく様を自ら体現するために、自らが愛する美となるために生きている。それをはっきりと認識したことは過去に一度もなかった。むしろそれを怖れ、遠ざけてさえいた。たとえば夏祭りによくある光るブレスレット、それが光を弱めていき、消えていくのを見るのが嫌で、もらったその場で捨ててしまった。老い、衰えゆく姿を僕は直視できないほど怖れていた。いや、今もそうだ。夏の終わりを好きだと言いながら、一方では、いつまでも終わってほしくないと願っているのだ。僕を夏の似合う人だといった人は、それを見抜いていたのだろうか、少なくとも、僕は夏に縋り生きている。その限りにおいて、僕はずっと夏を過ごしているのだろう。

——「日記(2017/10/9)」

さいわい、電子媒体の方に書いていたようで、容易に見つかった。しかし、これを読んでも当時の自分が何を感じたのかは分からん。分かるのは、おれが当時、自分のことをまだ「僕」だと思っていたということくらいである。今はどうかといえば、自分にふさわしい一人称などないということに気付いて、というか、おれという人間が人称に値しないことに気付いて、とはいえ、すっかり使わないというのも不便だということで、そのときの文体に合わせて、不自然にならないような仮の人称を使っている。

こんな記録も残っている。

僕は理想を持たないようにしているつもりが、そこから目を逸らしていただけで、心の隅で理想は膨れ上がっていた。僕にも夏はこうあるべきだという像があって、それと現実の間のギャップに苦しんでいた。もっとも、そういった原因から目を背けていたおかげで、なぜこんなにも苦しいのか、苦しまなければならないのか、それが分からないことに対する苦痛を常に抱いた夏だった。しかし、それがわかったところで、僕はどうすればいいのか。この理想を実現するために奮闘したところで、今度は真正面から、理想と現実の差を目の当たりにするだけだ。自分がこういった理想を持っているということを認識しながら、別にそうでなくてもいいのだと、自己を肯定するのが良いのだろうが、そうするには、自らの理想を知らなければならない。それを知るには、漠然とした理想を現実化するために奮闘せねばならない。そしてそれに付随する苦しみに曝されなければならない。そんな過酷に挑むには、歳を取りすぎた。なんて言うにはまだ若過ぎるが、それに耐えられるほど強い人間ではないということが分かるくらいにはなっていて、挑戦することに二の足を踏む。しかしリスクを避けることの何がいけないのか。社会的に生きている限り、失うものを持っていて、それを守るためにはある程度の余力を確保しておかねばならない。失敗に耐性をつけてこなかった僕は、たった一度の失敗で全てを失うくらいに弱いから、リスクを避けるしか無いのだ。持っているものがそんなに大事かと問われれば、すぐさまそうだとはいえないのだが、他のものを手にできる見込みもない。いらないものを抱えながら、欲しいものに手を伸ばそうにも、それを手にする望みの薄さに、全てを投げ打つ覚悟が持てない。誰か手を引いてくれる存在がいればまた状況は変わるのだろうが。現実にそのようなものはいないが、物語がその役割を果たしてくれる。これだけが、一縷の望みだ。ならば、僕の理想の夏というのは、物語に埋もれて暮らすことか。確かに、理想を思い描いていながら、満足するほど本を読めていない。どう折り合いをつけようか。

——「日記(2017/10/11)」

正直言って、このときのおれについての記憶がまったく残っていないので、これをどういう思いで書いたのか、どういうシチュエーションで、いつ、本心としてかそれとも冗談として書いたのか、分からない。とにかく、この時期にこうした文章を書いたということだけである。

たしか、このときには大学二年生だったのか。そんで、日付を見るに、夏休みが明けた頃だ。ということは、思い通りに夏を過ごすことができなかったことへの反省か。とはいえ、おれにはその夏の記憶なんてないのだが。

それにしても、なんだか自分を装っている感じの文章だな、とは思う。まあ、後から読んで痛々しく思うのも、日記をつけることの醍醐味なのだが。

そんで、何の話だったか。そうだ、おれのどこに夏の似合う要素があったんだろうか。おれは海よりもヤマハで、じゃなくて山派で、健康的に焼けているわけでも、シャツの裾からチラリと見える肉体が色っぽいわけでもない。水泳をやっていたわけでもなく、その他の事情で肩幅が広いというわけでもない。そもそもおれは水に入ると沈むタイプの人間だ。性格も夏のように暑苦しいわけではない。あ、そうか、おれの感情は夏の天気のように変わりやすい! 皆さんご存じのとおり、おれは情緒が不安定な類いの人間だ。そういう所が夏っぽいのかもしれない。女心とアキノ大統領!! ところで、「男心と秋の空」というのがもともとあった慣用句だそうだ*1。おれはといえば、「女心と秋の空」という言葉しか知らなかったけれど、女心も秋の空にたとえられるようになったのは、後になってからみたいだ。

そうかそうか、なーんだ、そういうことだったのか! 納得がいった。納得がいったからといって何だというのか。夏が来たのだ。今年の夏は、エアコンの空気が比較的きれいだ。そうはいっても夏が嫌いであることには変わりないが。

正直、いろいろあっちこっちしているうちにどっちを向けばいいか分からなくなってしまった。何にせよ、あれから二年が経ったのか。あの夏は結局、おれにいかほどの変化を与えたのだろうか。ひとり、夏に取り残された日々。8か月の長い夏休み。あの頃と比べて、おれは前に進んだのだろうか。進むべき方向は前なんだろうか。

七月が終わる。いつの間にか終わってしまった。気づけば夏に放り出されていた。じりじりと照りつける日差しが、アスファルトのミミズかなんかを焼きつくしてしまうような夏のまっただなかへ。

——「断想190731」

 夏に放り出されたと気づくときはもうじきだ。いつも気づけば梅雨が明けて、七月が終わり、夏が来たというよりも、夏の真ん中にいつの間にか立ち尽くしている自分に気がつくのだ。どんなに気を張っていても、いつもいつの間にかやってきて、いつの間にかすぎている。それが夏というやつだ。夏というか、だいたいどんな季節もそんなものだ。冬だけは少し毛色が違うが、だいたいどの季節もそんなものだ。今年の春だって、いつの間にかすぎていた。いつの間にか春が過ぎて、気づいたときには梅雨の季節だった。これが明けたら夏になるわけだが、結局のところ夏になっても雨はよく降るから、どこが境目なのか、それを見極めているうちに夏の真ん中にいるのだ。

思いつくままにだらだらとしゃべっているせいで、いい加減、冗長になってきた。これを書き始めたときに書こうと思っていたことを書くことができたという実感もなく、そもそも何を書きたかったのかも見失ったままに、この記録は終わる。

*1:三浦康子「『女心と秋の空』と『男心と秋の空』 どっちを使う?意味の違い」、All About - 暮らしの歳時記、2019年9月10日更新:https://allabout.co.jp/gm/gc/220725/(2020/07/12取得)