白昼夢中遊行症

去年の今頃は梅雨明けだった。

七月もそろそろ終わろうとしている、というには少し気が早いか。しかし、そうはいっても残り一週間だ。七月が終わって、八月にちょびっとだけ残りの講義を受ければ、もう夏休みということになる。夏休みといっても、おれは取り残した単位を回収するために講義に出なければならないし、そうでなくとも今年は卒論のための研究にその時間を使うようにしなければならない。おれがちゃんとその通りに時間を使うことができるとは思っていないが。

大学生活最後の夏か。思えば、大学生として過ごした夏に、充実した夏なんてこれっぽっちもなかった。一回生の頃と二回生の頃の夏休みは、部活動に費やされた。おれの所属していた部活動について、いまはあまり話すつもりはないけれど、何にせよ、いまや思い出せないような出来事、いや、思い出したいとも思わない出来事で満たされている。しかし、なぜかそれにまつわるいろいろなもの——必要だったものとか、部で作成した会報とか、部室の鍵とか(なんで誰も回収に来ないのかな。部の運営にまつわる資料は辞めた翌年一つ下の代が、いや、一つ上の代の人だったかが回収に来たんだけど)——はまだ捨てずに部屋の隅でほこりをかぶっている。この記憶に特別愛着を抱いているというわけではないと思う。というよりも、おれは、これらを捨ててしまうと、おれの過ごした大学生活の半分の痕跡がすっかり失われてしまうのではないかと怖れているのだ。実際、おれはそこでの活動以外で、他人とかかわることも、個人で何かをやるということもしなかったので、ほんとうに、おれの生活のほぼすべてだったのである。いきたくもない部活に行き、苦痛の時間を過ごし、家に帰ると疲れ切ってほとんど魂の抜けたようになっていた。この時期は、暇だったにもかかわらず、本もほとんど読めていなかった。しかし、何はともあれ、それはおれの生活のすべてだったのだ。それがおれを苦しめるものであったとしても、おれの生活のすべてだった。

三年目の夏、おれは部活を辞めて、大学も辞めようかどうしようか考えていて、いろんな悩みを頭の中から追いやるために、バイトばかりしていた。シフトは週7で希望を出して、欠員が出るとすぐさまそれを埋めるべく出勤した。バイトに出ていない時間は、ずっと眠っていた。休みの日には一日中眠っていた。

四年目は、復学していたので(それに、年百何万円問題もあったので)、バイトの出勤ペースは少し落とし、単位数がたりなかったので夏期講習にも出た。たぶん、この時期が一番ましな夏だったと思う。よく覚えていないし、記録も残っていない。しかし、おれの場合、記録が残っていないのは健全な証拠でもあるのだ。おれが日記か何かを残すときというのは、たいてい、何かに怒っているとき、あるいは、なにかに悲しみを抱いているときだ。いまも、ここ数年のおれの過ごした夏というもののあまりの空しさに悲しみを抱いている。悲しみよ、こんにちは。おれは最近、サガンの『心の青あざ』を読んだ。しかし、『悲しみよ、こんにちは』は読んでいない。

梅雨明けが近い。そんな天気が続いている。去年の今頃は梅雨明けだった*1。梅雨が明ければ夏になる。おれはまたどうしようもない夏を過ごすのだろうが、もうどうだっていい。