白昼夢中遊行症

読書

断想

生きづらさに言葉を与え、それによって気が楽になるなら、それは良いことだ。 しかしながら、何でもかんでもその言葉に負わせて、自分で戦うことを忘れてしまったら、それは無益どころか有害だ。 あくまでも、戦い続けないといけない。たとえボロボロになっ…

断想

休日って、いったい、なんなんだろうな。いったい、なにをしてやり過ごすのが、正解なのだろうか。それがわからなくて、いつも、調子が狂う。 といっても、今日という一日に、なにか不満があったわけではない。今日は、途中まで読んでいた本を一冊読み終え、…

断想

おれは別れというものにまるっきり耐性がない。おれは人生でほとんど出会わなかった。だからこそ、別れというものが人一倍堪えるのかもしれない。例えそれがどんなに希薄なつながりでも、おれにとってはかけがえのないものだった。数少ない、外界に向けて開…

断想

まともに日記を書くのは1か月かそこらぶりのことになる。といっても、こうしてしばらく期間が空くのは、いまに始まったことではない。おれが日記を書かなくなる要因はいろいろあるが、ひとつは、日記を書く際に「今日のこの出来事は記録するに値するのだろう…

2020年の200日めぐらい

今年*1もあと半分を切っているらしい。というのはもうすでに7月の初頭にも話したような気がする。今日はおれのところでは、たぶん今年初の真夏日で、いや、調べてみたらそうでもないらしいが、ともかく、夏かあ、とか思うような暑い日だった。 そんで、今年…

おれの納豆話。

7月10日は納豆の日らしいですね。ローソンで納豆巻きの納豆増量やってたんで食いました。べつに納豆が特別好きというわけではないし、何ならおれ、関西人なんですけど、なぜか納豆巻きの納豆増量してるときには食べちゃうんですよね。 ところで、関西人は納…

断想

ふと、運命論と決定論の違いについて気になって、本屋でそれらしい本を立ち読みした。それによると、およそこういうことらしい(とはいえ、所詮は立ち読みのつまみ読み程度の理解であるので、それが正しい理解であるかどうかは保証しないでおく)。運命論に…

断想

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる。今読まなければ一生読む機会がないかもしれないと思ったからだ。年々長編を読む力がなくなっていっているように感じる。そもそも、来年もわたしが生きているという保証がない。肉体的に生きてはいて…

断想

考えないようにするために一番手っ取り早いのは、自分であるという意識をすっかり無くしてしまうことだ。 どういうことかというと、現前する物事に対して自らを一切反映せずに、それらをあるがままに受け入れるということ。それも自分の得た感覚としてではな…

断想

日記の書けない日々が続いている。 五〇年二月 記憶が次第に逃れ去る。日記をつけることを決意せねばならぬだろう。ドラクロワのいうことは正しい。日記につけ落された日々は存在しなかったも同然であると。きっと四月にはぼくに自由が戻ってくるだろう。 『…

葦舟ナツ『ひきこもりの弟だった』を読む

たまには背伸びしないで気楽に読める本でも、と思い手に取ったのがこの本だった。 この本の帯には、「この本を読んで何も感じなかったとしたら、それはある意味で、とても幸せなことだと思う」といったことが書かれていた。 ぼくはどうだったか。何か感じた…