白昼夢中遊行症

葦舟ナツ『ひきこもりの弟だった』を読む

f:id:bounoplagia:20190225050050j:image

たまには背伸びしないで気楽に読める本でも、と思い手に取ったのがこの本だった。

この本の帯には、「この本を読んで何も感じなかったとしたら、それはある意味で、とても幸せなことだと思う」といったことが書かれていた。

ぼくはどうだったか。何か感じたかといわれれば、たぶん何か感じるものはあったのだと思う。

たとえば、ぼくも「ひきこもりの弟」だったので、そういうところで思うところがなかったわけでもない。もっとも、この本で書かれていたほどひどいひきこもりでもなかったし、親に関しても、この本で出てきたものと比べようもないほどに良い親に恵まれている。なので基本的に自己嫌悪がぼくの悪感情の大部分を占めている。ゆえに、子どもをもちたくないという思いが同じであっても、ぼくがそう思うのは自分自身が幸せでないからというのが大きいだろう。

そういう点を鑑みれば、ぼくはひきこもりである兄・弘樹に対して感情移入するところもあった。「みんな死ね」とまではいかないが、人生の無意味に打ちひしがれている点では、ぼくと似たところがあるように思う。自己卑下と正当化の入り混じった兄からの手紙の部分などは、個人的に好きな場面であった。

ほかによかったところといえば、中学時代、「貞子」と呼ばれる女子生徒に向けられた「僕」の嫌悪感が示された場面が良いと思った。

(……)何より僕を不快にさせるのは、傍から見ていてもわかるその陶酔感だった。
 彼女は恋をしていた。
 そしてその恋の対象は祐介ではなく、彼を介してどこまでも彼女自身なのだ。彼女は想い想われる幸福、拒絶し拒絶される悲劇、そういうヒロイズムの海に自ら飛び込み、そこに浸って一人で興奮しているように見えた。

ナルシシズムとしての恋、というのがここでは示されている。「貞子」は「祐介」それ自身を愛しているのではなく、「祐介」を愛する自分を愛しているという。これはぼくもたびたび考えることがある。なにかを好きになるということを突き詰めていくと、その多くが自分自身への愛に還元できるといったふうに。その考えがあったおかげで、ぼくはいまだに何かを素直に好きになったことがない。なにかを好きになるとき、ぼくは自分を好きになるためにこれを好きになろうとしているのだ、といった屈折した感情をいだいている。

あとは、こういう所も目に留まった。

兄は知ってはいないだろう。彼自身が大きな力をもち、日々その力を発揮していることを。その力が如何に強力かを。手も触れずに、何もしないことで却って僕を狂わせることができることを。

嫌いな相手というのは、思い出すたびに嫌な思いをするものだ。折にふれて思い出すごとに浮かび上がってくる憎悪は、いやおうなしにぼくを疲弊させるほどの力を発揮することだってある。さいわい、ぼくは自分の家族を嫌っていない。ぼくが嫌いな相手というのは関係を断ち切れないわけでもないようなひとばかりであるし、実際に関係を断ち切った奴もいる。

そして、こんな文を思い出した。

あなたはいま、心静かにしている。敵のことを忘れているのだ。敵のほうは、見張りを怠らず、じっと機会を狙っているというのに。とはいえ、敵が飛びかかってきたとき、身の構えに隙のないことこそが肝要だ。あなたは、たぶん勝てるだろう。なぜなら、あなたの敵は、憎悪というあの途方もない精力消尽のせいで、衰弱しきっているにちがいないから。

シオラン『告白と呪詛』

だれかを憎むということは本当に疲れるのだ。できることなら忘れているのがいい。いちいち気に留めないことが重要だ。

……

 

ほかにも思うところはあったように思うが、すぐに思い浮かぶのはこういったところだ。読み応えのわりに満足感は十分にあったし、読んでよかったと思う。

だが、不満もある。たとえば、いちばん最後の六年後のシーンは必要だったのか。子どもが欲しいと思えなかった「僕」が、自身のトラウマを乗り越えて、やがて子どもができて、親のことも憎いとは思わなくなったということを示すシーンであるが、この本を読めばそういった場面がなくとも想像ができるし、むしろ想像の幅を狭めてしまって、面白さを損ねてしまっているように思う。さらに言えば、もうひとつ前のシーンも同じ理由で余計に感じた。

これだけ感情に作用する力のある小説なのだから、読んだ後にいろいろと想像を繰り広げられるような終わり方だったらもっとよかったのにと思った。

もっとも、ぼくは批評家でも作家でもないので、この見解が妥当なものであるとは言わない。しかし、個人的にはそこがもったいなく感じてしまった。

……

 

二年くらい前の小説だが、若い人で、胸の奥になにかつっかえるものがある、という人は読んでみるのもいいのではと思う。

 

ひきこもりの弟だった (メディアワークス文庫)

ひきこもりの弟だった (メディアワークス文庫)