白昼夢中遊行症

いつかの日記を振り返る

おれはなぜだか勉強の息抜きか、単なる現実逃避かで、過去に書いていた日記のデータを整理していた。おれは日記を紙に書くときもあれば、ワープロに書くときもあるので、まったく全部整理できたというわけではないけれど、以前よりも読み返すのが楽にはなった。ちなみに、ワープロで書いていた日記(のような何か)は、一番古いので2017年だ。少なくとも、今アクセスできたものではその程度だ。なので、そんなに多いわけでもない。

そして、その作業をしている内に、いろいろと過去の自分に出会えたような気になった。とはいえ、過去の自分というのはあくまで過去のもので、そいつを大事にしすぎては破滅する。そこで、再び読み返すことになった日記からいくつかここに置いておこうかと思う。そうして過去の自分が発していた声なき声をすくい取ることができれば、いくらかおれ自身も、過去に対して整理がつくだろうと期待して。

単に時間順で機械的に公開するのもつまらないので、何らかのキーワードで結びつけて、小出しにしていこうと思う。ということで、今回は「雨」で検索して、そこに引っかかったものから引き出してきた。日記を読み返していると、一時期「雨」に何かこだわりを持っているらしいように見えた。それがどういうものだったかは忘れてしまったが、雨というものに何か気持ちを託していたことは確かだと思う。いつかのおれは、雨に何を思っていたのだろうか。

 

雨音にうたれて

今日は雨の日。台風で予定が空いたから、色々やろうと思っていた。でも気がついたらもう今日が終わろうとしていて、何もできなかった自分に僕はどんな言葉をかければいい? 何でいつもこうなんだ。普段から、自分との約束すら守れない人。ごめんなさい、ごめんなさい。僕は僕に謝るけれど、そんな言葉は望んでいない。どんな言葉ならば、こんな僕を許せるのだろうか。締め切った窓から雨音が漏れる。雨は嫌いではない、むしろ好きな方だ。けれど今はこの音も、大した慰めにはならない。そのうえ、昔のことを思い出してしまう。いい記憶ではない。そうだ、あの日もこんな雨だった。ずっと雨が降っているから、余計なことまで思い出してしまうのだ。でも、こんな記憶でも今の自分を作っているのだから、大切なものなのだ。いや、本当にそうなのか。こんな日々のおかげで、僕は僕を愛せない人になったのではないか? こんな日々の記憶が、僕の足を引っ張っているのではないか? しかし、それでもこれらを受け入れなければならない。乗り越えなければならない。雨は僕の罪を洗い流そうとしてくれているのだ。あとは僕がこれを本気で乗り越えようとするかだ。おまえは自分を許すことができるか? 雨音はそう問いかけている。僕は耳を塞いでしまった。まだ許せない。そんな勇気、どこにあるというのだ。僕にはこの声が、かつて僕を責め立てた「お友達」の嘲笑や罵倒に聞こえてならない。

目を覚ませば、雨は上がっているのだろうか。そしたらまた、ただ何となく寿命を一日、一日と浪費していくのだろうか。

 

退屈な空、苦悩の雨

朝、目がさめると雨は止んでいた。台風一過の青空がやけに眩しくて、でも今日は目を背けなかった。澄んだ空気が心を軽くしてくれたから。久しぶりの空だった。空の青に白い雲が鮮やかなコントラストをなして、無窮の広がりをさらに際立たせていた。雨が好きだった。でも、この空の青さに勝る美しさはないと思った。このためだけに生きていてもいいと思った。雨空を見上げることはできなかった。雨粒を恐れていた。悲しくなっても見上げることのできない雨空は、遠くへ行ってしまった。いずれ空の青さを疎ましく思ったら、その時はまた雨雲がそれを隠してくれるだろう。どんなものも過剰摂取は毒になる。苦悩のない日常が、退屈となり人を死に至らしめるのと同じように。自然はそうならないようにできている。しかし人間は苦悩に直面したとき、そこから逃げ出す術を知っている。あるいは、知ってしまったと言ったほうが良いのかもしれない。おかげで退屈というものに何度か殺されかけた。

 

梨を投げつける

この間違った世界を正してくれよ!

自分が変わろうと足掻いたって、どうせ世界はクソッタレのまま。僕はそれにはなりきれなくて、世界にとってクソッタレのまま。

こんな意味のない生活を壊してくれよ誰か。

最悪の人生をこれでいいと達観しても、最悪だと知ってる僕がいる限り、認められやしないんだよ。

なんて意味のない。雨の街で、ただ一人。

叫びたくても叫べない。

歪んだままのこの景色に。

ただ、ただ一人。

何にもなれずに。

 

迷子になりたい僕は抜け出せないレールを、足元を見ながらなぞる。

私には逃げ場がない。それが彼らとの大きな違いだ。だからいつまでも生きることには否定的だし、それでも復讐のためという空虚な目的を掲げて生きている。何に対する復讐か。何に対してでもない。ゆえに空虚なのだ。強いて言うならこの生に対する復讐か。居場所にしようと思ったところは居心地が悪くて逃げ出してしまったし、そもそもしようと思ってできるものでもない。仲間と思ったやつは実は赤の他人であったし、よく考えれば理解されることをどこかで恐れていたからこそ赤の他人のままだったのだし、恐れているのなら仲間ではなかっただろう。そのことに気が付かなかっただけだ。結局、望むにしろ望まないにしろ、この孤独とは一生付き合っていかねばならないのだ。この行き場のない苦しみを死ぬまで抱えて生きるのだ。

何となく自由を求めていた。求めていたのは本当に自由だったのか。時間がないと嘆く僕は自由を手にしたところで、それをもてあまして退屈に押しつぶされて死ぬ未来しか見えない。自由とはそんなものだ。何が欲しかったのだろう。

いったい何を探して、雨の中を歩いていたのだろう。そんなことをしても逃げ場はなかった。どうあっても僕は逃げ出せなかった。そうする勇気がなかった。勇気がないのに、どこにも逃げ場がないと嘆いていた。街の中で行き倒れるようなしたたかさが欲しかった。逃げ出す勇気がほしかった。迷子になりたかった。僕はまだ、この世界にすがっているよ。こちらから逃げ出さない限り、見捨てないでくれるこの世界に。振り返って見るであろう景色を恐れて、振り切ることができずに、それでもアクセルを踏み込んだその先に見えるものを夢見ながら。

 

最近は雨続きで

死にたくなるよな、こんな雨じゃあ。以前より少しずつ、しかし確実に、一つの思いが私の頭の片隅から広がっていき、今や全思考を覆わんとしている。このところ雨続きだ。雨は好きなのか嫌いなのか未だにわからない。しかし、雨は私にとって特別な意味がある。でないと好きにも嫌いにもならない。しかし、なぜだろう。別に全く思ってもいないのに、雨といえば次に死にたいと来る。多分それが、私にとっての特別な何かだろう。ところで、私の思考を覆うのは、死についてではない。雨でもない。私がこのところ、絶え間無く考えるのは、大学を休学したいということだ。退学に踏み切る度胸はないのだが、それでも大学生としての本分とやらに本気になれない自分に、無理強いしても仕方がないと思ったのだ。何か自分に足りないものがあるはずだ。見落としたものを探しに、旅に出たいのだ。そんな思いから、私は休学したいと思うのであった。