白昼夢中遊行症

断想

バイトをクビになったあたりから、おれは密かに自らに禁酒を誓っていたのだが、知らぬ間にまた日常的に酒を飲むようになっている。

酒を飲むこと自体が悪いのではなく、酒を飲むことが自分にとって意のままにできないことになっているということが悪いのだ。気づけばおれは酔いどれて、畜生以下の何かに成り果てているのだ。おれはある意味、酒にはめっぽう弱いのだ。おれにとって、酒を飲むことはそれによって得られること以上に、多くを失うことであるから、おれは酒を飲むべきではないのに、気づけば自ら立てた禁酒の誓いを破り、あの恍惚の中に身を委ねている。

いまだってそうだ。ぼんやりとした頭で、いい加減な文章を綴っている。もしもおれに文筆の才能があったのなら、それでも一向にかまわなかったかもしれない。おれの知る限り、詩人はみんな酔いどれだ。言葉を操る才能がおれにもあったのなら、おれは泥酔に身を委ねて、現実をずらかっただろう。それで一向にかまわなかっただろう。しかしそういうわけにはいかないのだ。おれはなんの才能も持たないから、そうした生き方はできないのだ。もっとも、この国で詩人として生きることがそもそも不可能に近いことだと思うがな。というのも、おれの知る限り、この国で詩人というのが職業として成り立っている例がそもそもきわめて少ない。現代においてはほとんどゼロと言って良い。
そんなことはどうでも良い。おれはいったい何が言いたいのか。知らん。

とりあえず、酒を飲んで頭がもうろうとしている自分に腹が立っているとき、おれはとりあえずその怒りをなんとか文字にしようとするのだ。それ以外の怒りのケースでも同じだけれど、おれが何かに腹を立てるとしたら大体酒が絡んでいる。

おれは酒が嫌いなのだろうか。しかし、嫌いだという割には、酒をずっとやめられないでいる。その様子を見る限り、おれは酒にすでに屈しているのだろう。

酒はいまやおれの数少ない生きがいにもなるようなこの世の気休めであるけれど、不思議なことに、酒を飲んで良かったと思ったためしがない。酒など飲まなければ良かったと思うことばかりだ。それでも気づけばなけなしの貯金を切り崩して家から酒のストックがなくならないように気を張っているのだ。すでに正気の沙汰ではない。

酒など飲みたくない。飲みたいと思っていない。そのはずだ。しかしおれは酒を毎日飲むし、それも飲みたくて飲んでいるのだ。