白昼夢中遊行症

断想

外の空気を吸い込むと、冬の冷たさの中にも暖かさを感じる。太陽の光は少し眩しい。雲一つない青い空が、いつもの青さでそこにあって、ぼくはそれを見上げた。

空気の匂いは空気の匂いとして感じ、日なたの暖かさは日なたの暖かさと感じ、太陽の光のまぶしさはは太陽の光のまぶしさとして感じ、空の青さは空の青さとして感じる。感覚の乏しいぼくにもそのくらいは感じられて、しかしそれだけで十分だった。生きているという感じがした。ぼくは生きているのだということを思い出した。

ぼくの生活には朝がなかった。ぼくは久しぶりに外を歩いて、その光の暖かさに戸惑っていた。このまま、昼夜の逆転した生活から抜け出すことはできるのか。

世界の暖かさにふれてふたたび思うこと。この世界が生きるに値しないのではなく、ぼくの諸感覚を通してみた世界が歪んでいて、醜く見えるのだ。すなわち、ぼくがこの世界に値しないのだということ。ぼくのゆがんだ目や耳や舌や鼻や皮膚を通してもなお損なわれずに感じられた世界の美しさの断片は、僕をいっそう惨めにするが、それでもこの世界に値しない僕が生きていける寛容さがある。世界の優しい無関心は、どんなに醜い人間であったとしても、等しく生きることを許してくれる。そもそも人間はみな醜い。それでもそれぞれの生を等しく与えられているのは、この世界の残酷な寛容さだ。

生まれ変わるなら、この世界に。しかし、この世界そのものとして生を受けたい。