白昼夢中遊行症

断想

さいきん小説をめっきり読まなくなって、それに伴ってか、少し世界に対して鈍感になったような気がする。感性が鈍くなったというか、散歩することにもあまり心惹かれなくなったし、雲の動きとか空の色なんかに目もくれなくなった。世界のほうは変わらずぼくに対していろんな色を見せてくれている。ぼくもそれを見てはいるけれど、それらを表象するための言葉を忘れてしまった。ぼくは言葉によって世界は現れると考えていて、今のぼくは以前にも増して語彙力に欠けるようになったから、ぼくが経験する世界の現れもまた、乏しいものになったのだと思う。

ここさいきん立て続けに変な夢を見たという記憶だけは残っているのだけれど、どのような夢か忘れてしまった。とくにその世界にすがろうと思うこともないような、比較的平凡な夢だが、どこか印象的だった。夢を言語化して記録するなんてことをやっていた時期もあったが、今は全くそういう気になれない。無意識がどのような啓示をぼくに与えていようと、それを正しく受け取ることができる保証はないし、それを確かめるすべもない。要するに、ほとんど意味がないことだ。ただ、よくできた創作だとは思うし、そこから妄想を膨らませるのは一つの娯楽だし、暇を持て余しているときだったらそういうことをしてもいいとは思う。残念ながら今はそこまで暇を持て余していない。

課題でレポートが課されたり、試験で小論文を書かされたりすると度々思うのだが、本当に、ぼくは文章を書くのが苦手なんだなあと。日記を毎日書いている、なんて期間がぼつぼつとあるが、だからといって文章力が上がったわけでもない。苦手意識との格闘がそこにはあって、文章力よりもそちらの方が上達したと思う。いかに苦手なものでも淡々とこなすことができるか。かといって、無理なものは無理だという場面も度々あって、それでストレスを溜めることは依然としてある。ほら、いますでに文脈を見失って適当なことをベラベラと言ってごまかしている。ただ書くだけならこうやって適当なことを言っていればいいのだが、大学の課題とかで、それが成績になる、悪ければ単位をもらえない、なんてことがあると、やり過ごせないからなんとか読める文章にしようとするのだが、無理なものは無理なのだ。PCのモニタとにらみ合って一晩を過ごすことになる。当然ストレスの元になるし、睡眠時間も削られる。

何が言いたいのかって、こうして体調を崩して、それが会長に向かってきたのはいいものの、どうせまた体調を崩すことになるし、精神的にも安定してきたけれど、どうせまた何にもやる気が起きなくなる。昼夜逆転もほとんど良くなったが、また夜中に悶々と過ごす日々に舞い戻る未来が見えている。それでも生きてかないといけないのだ。生きるのなんのってそんな言葉を使ってしまうと大げさになって良くないけれど、あいにくぼくの語彙力はぼくの中の微妙な心情を表すには十分じゃあないから、そして乏しい語彙力からは極端な思考しか生まれないという格好の例でもある。

何が言いたいのかって、言いたいことがわからないってことだ。