白昼夢中遊行症

断想

明日は出勤日だ。そしてたぶん明後日も。これからまた二か月の間は、土日祝日除いて、休みなく働くことになるだろう。土日祝日も、あるいは働くことになるかもしれない。働けば金になる。金があるのはいいことだ。

しかし、このところまた日記を書く習慣が戻りつつあるので、これはなんとか維持したい。加えて、休みが多かったことで本をよく読むようになったのだが、本に使う時間も残すようにしたい。そうなると、時間の使い方、というのをよくよく考えなければならない。

すでに、ゲームに割く時間は極限まで削っている。すっかりやめてしまってもいいのだが、それで後悔したことは数知れず。いや、自分はそれらを忘れないようにしているので、数えようと思えば数えられる。同じゲームをやっている人、ではなくゲームそのものを友達のように見なしているきらいがある自分にとって、やっているゲームをやめることは、友と訣別するようなものである。これは冗談のような本当のような、自分にもどこまでが冗談かわからない話だ。とはいえ、少なくとも、「やっているゲームをやめることは、友と訣別するようなもの」の部分は本当だ。

現実の友達との別れについての後悔も数知れず。 たぶん、今後の人生であたらしく友達ができるなんてことはもうないんだろうな。寂しいような、そうでもないような。

とにかく、時間の使い方についてよくよく考えなければならない。と、そんなことをぼんやりと思うが、どう考えればいいものか。

したいことがある、というのは大変なことだ。やるべきことだけでなく、考えるべきことが多すぎる。いままでろくに考えることなく生きていた自分にとって、こんなに大変なことはない。じっさい大変だから、なるべく何かをしたいという思いを抱かずに生きてきたのだ。そうすりゃ立派な社会不適合者の出来上がりだ。まいどあり。