白昼夢中遊行症

これは日記ではない

「純日記」という言葉は、「純粋ではない日記」というものの存在を示唆しているように思われる。そして、実際にインターネットで日記の体をなしているブログを見てみると、確かに「これは純粋な日記ではないな」と思うようなものは多くみられる、ような気がする。しかし、この「純粋ではない」という感覚は、どこから生まれているのだろう。

それは、文章から書き手の、読み手への意識が読み取られるから、だろうか。なるほど、それはありそうだ。「日記は私的な記録であり、誰かに見せることを想定しない」という日記に対する信念からすれば、読み手を意識することは、日記の日記らしさを減じることのように思われる。しかし、「日記は私的な記録であり、誰かに見せることを想定しない」というのはありがちな信念ではあるけれど、そうしたものだけが日記である、というわけではない。たとえば、日記文学なんてものがある。これは明らかに誰かに見せることを想定したものであるが、日記である。また、公的な記録を記したものも日記といえるように思われるが、公的な記録であることは私的な記録であることと両立しないように思われる。とはいえ、公的な記録としての日記から読み手への意識を読み取ることは難しそうだが、ともあれ、日記は私的な記録とは限らないし、誰かに見せることを想定して書かれたものも日記である。したがって、読み手への意識が見えたから「この日記は純粋ではない」と思うのは錯覚である。

あるいは、そこに嘘が含まれているように見えるから、だろうか。日記という言葉が意味することを素朴に言い表すなら「日々の記録」といったことになろうか。そこに書かれた日々にもし嘘が含まれているのなら、「日々の記録」の中に何か混ざりものがある、ということにならないか。しかし、日記とは本来、どういういみな『精選版 日本国語大辞典』で「日記」を引いてみると、以下のように書かれている。

にっ‐き【日記】

〘名〙

①事実を記録すること。また、その記録。実録。にき。

東南院文書−天喜三年(1055)一二月一四日・東大寺権寺主封物注進日記

「注進 若狭国御封之内絹布日記」

*古今著聞集(1254)七

「この事、いづれの日記に見えたりといふ事を知らねども」

②できごとや感想を一日ごとにまとめ、日づけをつけて、その当日または接近した時点で記録すること。また、その記録。日録。日乗。にき。

令集解(868)職員

「侍従以下上日。省録㆓日記㆒哉」

〔老学庵筆記−巻三〕

③「にっきちょう(日記帳)」の略。

▼日記買う《季・冬》

*日葡辞書(1603−04)

「Nicqiniニッキニ noruノル〈訳〉帳簿に記載してある」

語誌

⑴漢語「日記」は日本で早くから公文書類などに使用が見られ、現在まで呉音読み「にっき」が定着している。平仮名文では多く、「日」の促音を無表記にして「にき」と書かれた。

⑵男性貴族は漢字のみを用いた真名日記を残しており、主に公的行事についての記録であった。これに対して平仮名で記されたものは私的心情の表出に重きを置き、文学性が高い。→日記文学

精選版 日本国語大辞典

ここで問題にしているのは「日記帳」ではなくそこに書かれたことがらなので、③については置いておいていいだろう。問題になるのは①と②の意味での「日記」である。「①事実を記録すること。また、その記録」としての日記は、その定義から嘘の記述を許容しない。しかしながら、この意味でつかわれる「日記」というのが、日記のすべてではない。日記には、「②できごとや感想を一日ごとにまとめ、日づけをつけて、その当日または接近した時点で記録すること。また、その記録」としてのものもある。問題は、こうした日記が事実でない記述を許容するかどうか、である。『土佐日記』というものがある。これは、そこに書かれたものを読むと、筆者は女性ということになっているのだが、実は男性が書いたものである。つまり、すべてが嘘っぱちなのだ。さて、これは日記といえるのか。日記といえるだろう。それが日記といえるのは、そこに書かれていることが「出来事や感想」をまとめたものであるからだ。つまり、②の意味での日記は嘘の記述を許容する。

それでは、嘘っぽいから純粋な日記ではないと感じることも誤りなのだろうか。そう考えるのはまだ早いかもしれない。『土佐日記』の例は、「男性が女性のふりをして書いた日記である」という知識が読み手にあるから、嘘なのである。しかしながら、その知識を排除したうえで読んだとき、それは真実のように見えるかもしれない。つまり、『土佐日記』は実際には嘘だけど、テクストに嘘っぽさがないから、純粋な日記として読めるのではないだろうか。ここから、日記が純粋であるためには、テクストに真実味がなければならない、という主張を引き出せるかもしれない。また、『土佐日記』については、こうも言うことができるかもしれない。つまり、作者は性別を偽ってはいたけれど、そこに書かれた「出来事や感想」は作者の本心である、と。つまり、日記のシチュエーションや書き方は嘘だけれど、そこに書かれていることは真実である、というのである。ここで私が提示したい主張は、日記が純粋であるためには、そこに書かれた「出来事や感想」が真実でなければならない、というものである。

  • テーゼ1: 純日記であるためには、そこに書かれた内容が真実のように見えなければならない」
  • テーゼ2: 純日記であるためには、日記の内容が真実でなければならない

私は上で二つのテーゼを提示した。前者は後者よりも寛容なものに見える。ところで、私はいつまでこんな話を続けるのだろう。これを書き始めたのは十七時三分で、今の時刻は二十時十五分である。その間に夕食を食べた。小鉢に入ったトマトと胡瓜、白菜と油揚げを炊いたもの、大根の浅漬け、牛肉と玉ねぎを醤油で味付けして炒めたもの、卵かけご飯、納豆。食後にチョコレートと緑茶。私はとうに「純日記」というものがなんであるかということについての関心を失ってしまった。いや、「純日記」が何なのか、ということが気になっていたわけではない。正確に言えば、「純日記」という言葉を見て以来、暗黙の裡に「これは純日記だな」とか「これは純日記ではないな」なんて判断を下すようになっていて、そうした判断が、何によってなされていたのかが気になっていたのである。そうした判断を下す自分に何か、後ろめたさのようなものがあったのかもしれない。後ろめたさがあるのなら、最後まで考えるべきなのだろうか。しかし、後ろめたさによって動かされていたとはいえ、考え自体は全くフェアではない。というのも、たとえば、『土佐日記』を何度も引き合いに出していたが、私は『土佐日記』を読んだことがない。それどころか、『土佐日記』が誰によって書かれたものなのかも知らないし、本当に女性のふりした男が書いたものだったかも定かではない。要するに、出まかせである。日記文学が、明らかに誰かに見せるためのものとして書かれたものである、とそれっぽく書いたが、これにも根拠はない。私は唯一、日記文学として『更級日記』を読んだことがあるのだが、これを読んで、そこから書き手の、読み手に対する意識というものを感じたことは一度もなかった。つまり、どちらかというと嘘である。

私が嘘を並べていたことを白状したのは、後ろめたさからである。つまり、日記っぽい文章を見て「純日記か否か」という判断を下していたことに対する後ろめたさ以上に、でたらめをしゃべり続けていることの後ろめたさに耐えられなくなったのだ。さらに白状すると、日記っぽい文章を見て、「これは純日記であるか否か」という判断を暗黙の裡に下すようになっていた、というのも嘘である。それでは一体、私は何に動かされていたのか。「純日記」という言葉が気に入らなかったのか? いや、というよりも「純日記」という言葉が生まれてしまったことが気に入らなかったのだ。たぶん。日記のような見た目をした、日記のような何かにすっかり「日記」という場所を奪われてしまったがために、もともとの日記は「純日記」という新しい旗を上げなければならなくなったのだ。日記に純粋も何もあるか。しかし、純粋であるとわざわざ言わなければ、埋もれてしまうようになったのだ。日記のような見た目をした、日記ではない何か。それは何だ? それは虚栄心である。承認欲求である。あるいは損得勘定である。ここまで書いてきて、私は自分が再び、ある文章を純粋な日記であるか否か、ということを何かの尺度によって線引きしようとしていることに気が付いた。パラグラフも変わっていないのに、すでに自分の言ったことに反している。正直者でいたいなら、いや、自分が正直者であると信じたいなら、文章なんて書くものではない。書かれたことは全て嘘だ。私の自己判断で純日記のカテゴリに入ったとしても、それは嘘に満ち満ちたものかもしれない。判断する私が、こんなにも嘘に塗れているのだから。

文章を読んだり書いたりするために必要なのは、寛容であることだ。ひとつの文章を書きあげるためには、自分の中の嘘を黙って見過ごさなくてはならない。おれが日記を書かなくなっていたのはまさに、このことに嫌気がさしていたからだ。しかし、ちゃんと文章を書けていた時期もあった。そのとき、おれはどのようにして自分の嘘に折り合いをつけていたんだっけ。このブログに日記を書き始めたころ、こんな文章を読んでいた。

「というのは、もし役者が、自分は一編の芝居を演じているのだと知らずに演じれば、かれの涙は本物の涙であり、かれの生活は本物の生活になってしまうからさ。そしてぼくが、自分の心のなかの苦悩や喜悦の歩みに想いをはせるたびに、ぼくは有頂天になって、ぼくの演じている役割は、あらゆる役割のなかでもっとも生真面目でもっとも熱狂的だということが骨身にしみてわかるのだ」

「それにぼくは、あの完全な役者でありたいんだ。ぼくには、自分の個性なんか問題ではないし、それを育てる必要もない。ぼくは、自分の生活が然らしめるものになればいいので、生活から体験を得ようなどとは思わないのさ。ぼく自身が体験だし、ぼくを作り導いてくれるものこそ生活なのだ。もしぼくにじゅうぶんの力と忍耐力があれば自分をどの程度完全に非個性化しうるか、また、ぼくの諸々の力が、一体どこまでその積極的な虚無の推進力になりうるかがよくわかるのだ。これまで、そうしたぼくをいつも押しとどめてしまったのが、ぼくの個人的な虚栄心さ。いまこそぼくに納得できるのは、行動したり、愛したり、苦しむということが、つまりは生きることなんだ。(……)」1

そのときのおれは、なかなかよく演じられていたのではないかと思う。しかし、自分を非個性化するためには、力と忍耐が不十分だった。自分の演じている役について考えてしまった。しかし、考えることが間違っていたとは思わない。

ところで、私はまた、自分の書いている文章が、いっときの逆上によって書かれたものであることを発見した。しかしその逆上が、文章を完成させることは決してない。「決して」というのは言い過ぎである。しかし、まれであることは間違いない。いまも、私はこうして発見した。それゆえ、この文章は終わらない。

ふと、自分が過去に引用したカフカの言葉を思い出す。

小さな文章であっても結末をつけることが何かと難しいという所以は、(……)ごく小さな文章でさえ、書き手に自己満足と忘我の境地を要求するところにある。こうした境地から出て日常の空気の中に一歩踏み出すことは、強い決意と外部からの鼓舞なしには難しい。(……)
(1911.12.29)
フランツ・カフカ『夢・アフォリズム・詩』

断想 - 白昼夢中遊行症

私は決して満足しない。書き終えることができない。しかし、日常の空気の中に戻ることはできる。このカフカの言葉の、省略された部分にはいったい何が書かれていたのだろう。ページ数も書かれていない。どこかに引用もとになった本はあるけれど、取り出すのが面倒だ。ともあれ、少なくともいえるのは、私はカミュでもカフカでもない。だから、彼らの言っていることは理解できない。常に私という存在が邪魔をするからである。しかし、この私というのは何なのだろうか。

私は何か、ものすごくいいことを言えそうだったのだ。この文章を書き始めたときは、そんな確信に満ちていた。しかし、蓋を開けてみればいつもと同じだ。しかし、ある意味で意図したとおりともいえる。私は私の「純日記」というのを書いてみたかったのだ。書いてみたかった、ではないか。書いてみせたかったのだ。ただの日記が「エモい」というなら、この混沌からエモーショナルな部分を見出してみやがれ! そんな反発心から、私は私のはらわたを掻き切ってぶちまけたのだ。

ああ、なんだかうまくまとまってしまいそうだ。しかし、そんなことは許さない。というのも、おれは嘘をついているからだ。どうやってこの文章から逃げ出せるのか。書き始めたが最後、ずっとそれを考えながら、自分の文章とにらみ合わなければならない。「おれは、いままさに、ミサイルの発射ボタンを押すように、公開ボタンを押そうとしている」そんなフレーズが頭をよぎった。そんな、月並みな、使い古されたフレーズが。しかし、これはミサイルではない。これは誰も殺さない。それどころか、誰にも読まれない。誰にも読まれないのに、なぜ公開するのか。そもそも、誰かに読まれることを望んでいるのか? こんな問答も、おれはシャワーを浴びながら考えた。まったく、あきれるぜ。いまは二十二時五十二分。書き始めたのは十七時三分。なんでこんなのに時間を費やしてしまったのか。ただただ、苦しいだけだ。

これを公開するのは、その苦しみの軌跡を残さなければ、ただ苦しいだけで終わってしまうから。……というフレーズは考えていなかった。それに、なんかしっくりこないな。

どっちかというとこれは、おれの悲鳴だ。堪えざる苦痛に対する悲鳴だ。悲鳴を上げるとき、それに耳を傾ける人を想定しているわけではない。ただ、声を上げずにはいられないのだ。でないと、狂ってしまいそうになる。


  1. アルベール・カミュ『太陽の讃歌——カミュの手帖1』(新潮文庫, 高畠正明訳, 1974年) p. 85