白昼夢中遊行症

断想

2020/05/11 1:26

けさ、というより、起きたのは12時を回ってからだけど、久しぶりに記憶に残る夢を見た。最近は夢を見ないか、見たとしても夢を見ていたということ以上のことを思い出せないようなことが続いていたので、今日みたいなのは一年か二年ぶりくらいのことだった。

このところ、僕はうまくやれているんじゃないかと思っている。

酒を飲みたいという気持ちもコントロールできているように思う。少なくとも、前後不覚に陥るまで飲んだくれるなんてことは無くなったし、酒による出費も気になるほどではなくなった。ようやく、酒が一日を酩酊の中にフェードアウトさせるためのものではなくなった。ときたま、自分自身をねぎらうためのちょっとした贅沢として飲もうかなと思えるくらいになった。とはいえ、すでに自分はすぐに酒に溺れるような人間であることが自分にとってはっきりしているから、自分をねぎらうためといっても、その方法の一つにしているということで、実際に飲む機会はもっと少ない。

一日のタスクを事前に設定して、それを消化していくという形で、日々を有意義に過ごすことができている。大学に行かなくてもいいおかげで、この習慣をうまく形成することができた。達成したタスクをいちいち記録するというのも、モチベーションの維持につながっているように思う。

今年は、ふたたび大きく鬱状態に振り切れて、死ぬか夜逃げするようなことがない限り、卒論を書かなければならないことになっている。

なんだかようやく、日記なしに連続した自分というのを維持できるようになってきたように思う。

このところ、僕はうまくやれているんじゃないかと思っている。

日記を書かなければ。カミュによるドラクロワの引用を、孫引きで日記に引用したことがあった。あの言葉は今でも僕にとって真実だ(カミュにとってそうであったのと同じく)。

最低でも週に一回はこうして書き残しておきたいと思う。今日はちょっと夜更かしになってしまったけれど、できれば夜遅くなりすぎないくらいの時間に。ブログの更新をと考えてしまうと、ちょっと文章を書くハードルが上がってしまう気がするから、この際ブログのことは頭から消し去ってしまおう。好きに書くようにしたい。やれかぶれじゃなくても、書き残しておきたい言葉はいつでも何かあるはずだ。些末なことでも、つたない言葉でも、とにかくいつかの自分のために遺しておきたいのだ。

2020/05/11 22:55

私は突飛なアイデアと、それを押し通す詭弁によってここまで生きてきたし、ここまで生きてこられてしまった。この才能は私を大いに助けていたようで(実際たしかに、私は助けられていたのであるが)、私を陥れもした。

今日はとても疲れたような気がした。そういえば、朝から晩まで椅子に座ってモニタとにらみ合いっぱなしだった。ちょうど一月くらい前(一ヶ月と一週間前)に模様替えして以来、モニタの位置が15センチほど低くなり、猫背気味の姿勢を強要されるというのもこの疲れの一因を占めるだろう。しかし今の部屋の状態はけっこう気に入っているから、いまさら変えるに変えられない。今の状態は、私が大学進学とともにここに越してきたときの部屋の状態と似たもので、一周回って戻ってきたという感じだ(実際には似ても似つかないのではあるが、なぜかそういう感じがある)。

常に不安が私を取り巻いている。それは晴れることなく、私の手に足に食らいついて、私をすっかり呑み込んでしまう機会をうかがっている。多勢に無勢。私はそれをむやみに払いのけようとするのではなく、それとの接し方をどうにか工夫してやっていくしかない。

私は大切な人とは距離を置きたいと常々思っている(私にとってそうであるような人が過去現在未来に存在しているかどうかは別として)。

私は一人称が苦手だ。二人称も苦手だ。三人称ならためらいなく使うことができる。三人称以外でものを語るとき、私はいつもぎこちなさを感じている。私はまた、所有格が苦手だ(正確に言うなら、一人称の所有格が苦手だ)。何かが私に属しているという感覚がよくわからない。私にとって、これはたしかに私のものであるといえるものが、いったいいくつあるだろうか。見込みがあるのは、「何もなさ」くらいのものだろう。

お題「#おうち時間