白昼夢中遊行症

断想

「歩き、夢を見る人間」

おれはこのブログを始めたとき、そう自分を表現していた。

あのときのおれは大学を休んでいて、寝ることと散歩することくらいしかすることがなかった。この二つがおれという人間を作るすべてであった。

不安が大きかった。それまで素直にレールをたどってきたおれにとっては、そこを外れたということが心許なかったし、またそこに戻っていくといっても、それまでの生き方がわからなかった。だからおれは夢を見ていたかった。安心するような夢を見ていたかった。睡りながら夢を見て、夢を見ながら歩いていた。

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日はまだ短くなっていく。冬というのは薄暗くて好きではない。

おれは今も歩けているか。夢を見れているか。

——おれは最近歩けていない、夢は見ている気がするが、夢中に歩くことはなくなった。

自宅と大学とスーパーを、自転車で行き来するだけの生活。さまよい歩くことはなくなった。端から見たら健全か。おれとしては、自分という人間がわからなくなった。それまでおれを成していたものが、もはやおれのもとにはなくなっていたことに気がついて、おれはおれが何であるのかわからない。

おれの生活はまるで無意味な繰り返しで、おれという人間は、歩くことさえしなくなって。

おれはすべてのおれを捨て去って、まったくの無意味になりたいと思う。そうしてただただ世界を夢中にさまよって、やがて大地に抱かれて消える。