白昼夢中遊行症

夜眠り、朝起きること

昨日は1時半に寝て、けさ8時45分に目覚める。このところ夜眠り、朝起きることができている。ぼくはかくあるべきことをしている。

まともな人間になれるだろうか。いつまでこの真似事が続くだろうか。どうしてかいまは憂鬱な気分が和らいで、夜はすんなり眠れるし、朝も布団から出ることができる。だいたい40日ごとにそうなる。だいたい40日ごとに昼夜の逆転が一周するのかもしれない。

いま置かれているような体調のとき、ぼくは一日に3時間ほど眠れればじゅうぶんに生活できるのだ。それに対して体調がすぐれないときは一日に16時間は眠らないといけない。どちらをとってもまともではなく、ぼくはまともなふりをしているだけである。しかしそのまともなふりが、いつか本当になることを願っているのである。

そのためには一日16時間眠らなければいけないときに、どうしてまともなふりをすることができるかを考えないといけない。

 

今みたいに、少ない睡眠で生活しているときは日中ある種の焦燥感がある。短眠で睡眠が足りているかといえばそうではないのだろう。何かをしていないと、動き続けないと眠ってしまう、という恐怖に駆り立てられて東奔西走している。昼に眠ってしまえば、夜に眠れなくなるという思い込み。また、昼夜が逆転した生活に戻るという恐怖。

だがそれで無理に動き回るので精神も肉体も次第にすり減って、ある日起きたら日が暮れていた、なんてことになる。それからはまた、夜中に起きて日がのぼれば眠る生活に戻る。それをだいたい40日くらいの周期で繰り返す。周期といっても、自分が残した日記のようなものによって割り出したもので、たまたまかもしれないし、もっと大きな周期の中の小さな波なのかもしれないが。

 

とにかく、ぼくはこんなぼくにうんざりしている。できることならまともに人間の社会で生きていきたい。

ぼくが人間全体を憎むのは、偏に妬みからである。嫉妬。これがぼくのほとんどを占めている。あとは倦怠。

ぼくはぼく自身がまともに生きていけないから、ぼくを排斥したその社会と、そこに生きる人間どもを憎むことにしたのだ。

ぼくはまともに生きることができるようになって、人間社会に受け入れられることがあれば、それまでの怨嗟を翻して、人間の美しさを讃えるだろう。