白昼夢中遊行症

日記も書けないような均質な日々で

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最近、文章を書けていない。少なくともひと月前までは一日も欠かさず、日記のような何かしらを書いていた。紙のノートか、時間がなければ携帯のメモ帳に。しかし、最近はまったくもって何も書き残していなかった。時間がない、という言い訳はおかしな話だ。大学にも行っていないおれには、時間は有り余っているはずではないか。

しかし生きるにも金がいる。親の援助を受けてはいるが、単なる穀潰しにならぬために、自分で稼ぐということをしている。日が暮れた頃に働きに出て、夜が深まった頃に家に帰る。おれは望んでないのに昼夜が逆転するたちなので、そこからすぐに寝られるわけでもなく、しかし身体は疲れているので何かしようという気も起きず、ただ横になって、意識が飛ぶのを待っている。そうして日が昇る頃まで過ごして、やっと眠りにつく。目がさめると昼過ぎで、うんざりする現実に戻ってきたことにうんざりして、戻る直前まで見ていた夢の続きを見ようと、二度寝、三度寝を試みる。それが悪夢であっても、現実よりはよっぽどましだ。そうするうちに気づけばまた、出勤しないといけない時間になっている。そんな繰り返しだ。そしてやっと休みの日だと思うと、勤務先に欠員が出たからそれを埋めろだとか、今日代わってくれだとか、もしくはどうせ暇だろうという、恩着せがましい誘いだかに台無しにされる。

なんのためにおれは生きているのか。おれは、ただ待っている。バイトのシフトが終わるのを待ち、休みの日が来るのを待ち、スタバでラテができるのを待ち、横になって意識がなくなるのを待つ。待つために生きている。そうして死ぬその時を待っている。

「時間は金で贖われる」といったことをカミュだかカムゥだかの小説で読んだ。だがその金を稼ぐために、時間やら自らの幸福やらを切り売りして生きているのだ。しかしそうしているうちに、死がおれの元へ追いついてきて、おれは時間も何もないところへ攫われる。幸福な死という主題をおれは捉えられないままに読み飛ばした。

おれにできることは死ぬことだけだ。人間、いや、生きとし生けるすべてのものどもはみな、死ぬことしかできないのだ。歩くとは死ぬことだ。食べるとは死ぬことだ。呼吸をするのも、眠るのも、あれも、これも、死ぬことだ。生きることは死ぬことだ。死ぬことしか許されていないのだ。

おれは夢を見る。見知らぬ誰かのために死ねと言われる夢を見る。しかしどうしてか、おれはその要求を退けた。涙ながらに生きていたいと言った。おれはどうしてか、この生にしがみついていた。あくまで夢の話なのだが、おれは生きていたいと言った。おれは生きていたいのだろうか。

最近、文章を書けていない。ろくに生きていないから、書くことがない。現前するものごとではなく、死を見つめて生きている。それ以外にはろくに何もせずに生きている。日々の区別がないほど均一な日々を送っているから、日記には何も書くことができない。

この文章も、今日この時に書かれたことになんの必然性もない。そして落とし所を失ったこの文章はどうすればいいのか……