白昼夢中遊行症

このブログについて

ブログを始めたのはいいが、方向性は何も考えていない。去年の七月、いちどテストのつもりで非公開でテキストをアップしたが、それ以来何も触れることはなく、今日まできた。自分はなにかを続けるというのが苦手だと思っており、ブログを公開するのに二の足を踏んでいた。どうせなら毎日更新したいという考えから、いつか余裕ができたときにと先延ばしにしていた。しかし、そうして先延ばしにしていては、いつまでたっても始めることはないだろうと思ったので、毎日更新したいというこだわりは諦めて、とりあえずこうして公開することにした。

しかしなぜ、ぼくはブログなんて始めようと思ったのか。とくに取り得のない人間。どちらかというと立派な人間とは言えない側の人間。学も向上心もない人間。そんな人間の文章を誰が見て、誰が得するというのか。しかし、ぼくはそれでも自分の内から湧き出た言葉を公開したいという衝動を持ってしまったのだ。

なぜというに、ぼくはここ最近、将来への希望を失い、自分の価値を見失って、どうしようもない日々を送ってきた。そんなぼくを元気づけたのは、ぼくの抱いた不安を同じように抱える人たちの言葉だった。そういった人たちが、悩みを抱えながらも、どうにかして生きている姿をインターネットを通じて見ることができた。ぼくの感じていた孤独な不安が、実はたった一人で感じているものではなかったことに気づいた。

そうして元気づけられているうち、ぼくの内に、ひとつの思いが芽生えた。ぼくもこうした先人を倣い、ぼくと同じように悩みを抱えた一人の人間に、なにか今日を生きる希望を与えたいと思った。ぼくは強い言葉を発することはできない。それでも、後ろ向きでも歩いていけるような希望を与えるような人間になりたいと思った。

ぼくには日々の仕事が必要だ。ぼく自身の仕事が必要だ。その仕事が、自分を省みるきっかけになる。ぼくは前を向いて生きていきたい。まっとうな人間になりたい。そのためには自分をつねに省みないといけない。ブログに限らず、文章を書くことは、自分を省みる一つの手段になるというのは、むかし日記をつけていた時に気づいた。ましてやブログは不特定の人目にさらされる。下手に身勝手なことは書けないという思いが、内省を促す。そういうことを期待して、というのもある。

こんなブログを見る人間がいるのか分からないが、最悪何年か後の自分が励まされるようなことがあれば、それもいいかなと思った。そうしてこのブログを公開したのである。こんな人間の言葉でも、耳を傾けてくれる人がいるのなら、ぼくはうれしく思う。