白昼夢中遊行症

断想

さいきん、毎日これを更新することを心がけている。といっても3日目だが。

久々の休みは、いつもと同じように昼の起床にはじまり、夜が開けようという時まで起きた。そして夜が開けようとしているいま、こうしてルーティンにしようとしているこれの更新に取り掛かった。

これといって何かあったわけでもない。バイトのある日と変わらない1日だった。まず目が覚めて、バイト先の人間から、今日代わってくれないかという連絡が来ていて、しかし今回は連勤を口実に断った。それから洗濯機を回し、小説をパラパラと読む。少し経って、思い出したように論理学の問題集を進める。ぼくには論理がわからない。練習問題は答えを見ながらああそういうことかと納得したふりをして流し読みした。それから洗濯物を部屋干しした。服を着替えて家を出た。松屋で定食を食べた。

さいきん、歩けていないと思う。夢を見ることは何度かあったが、歩いていない。ぼくは歩き、夢を見る人間だと思っていたが、そうではないらしい。歩くことも夢を見ることも、ぼくには本質的ではなかったということだ。

では何がぼくなのか。ぼくは何なのか。それを知ろうとすることはぼくの生きる理由でもあった。ふと、カミュとかいう人がノートに書いていたことを思い出す。

ひとは、生きてゆくうちに決定されていくのだ。自己を完全に識るとは、死ぬことなのだ。

つまり、ぼくが何者であるかを知るには、いまここで死ぬのが一番簡単で、確かな方法だ。そうだ、そうすればこのしけた生活からもおさらばだ。だけど、ぼくにはなにか他に、この生にしがみつく理由があるみたいで、まだぼくはぼくを完全に知るわけにはいかないのだ。そして、ぼくはぼくをこの生に縛り付けるなにかのしがらみを探しているのだ。ぼくは何のために生きるのか。何に生かされているのか。

外が明るくなってきた。カーテンから漏れ出る光が、ぼくに眠る時間を告げる。

ぼくは松屋で定食を食べたあと、スーパーに出向いて梅酒とミックスナッツを買って帰った。ぼくは甘すぎる飲みものが苦手なので、梅酒はほとんど飲まないのだが、突然飲みたくなったのだ。こういった突然の思いつきには何度も失敗させられているのだが、なぜかいつも余計な買い物をしてしまうのだ。加賀梅酒とかいうのを買った。

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梅酒は悪くなかった。だいたいストレートで飲んだ。お湯割りの代わりに紅茶割りも試すが、えぐみが出てしまい、これは好きではなかった。水割りは甘ったるさが無くなりちょうど良かったが、アルコールが物足りなかった。

せっかくの休日だからたまにはアニメでも見ようかと思い、Amazonで無料で見ることのできるものを探す。「坂本ですが?」を観る。アニメでも観ることが億劫な近年では、こういった1話完結のギャグ系のものの良さをしみじみと感じるようになった。こういったアニメを愛する人々は、一週間のささやかな楽しみとしてこういったアニメをを観るのだろう。ぼくは一気に全話見た。日付が変わった。