白昼夢中遊行症

大学を休学していたある人間の語るかもしれないこと

*「やあ、元気かな?

ぼくは、あんまり元気じゃないかな。このまえ、ほとんど一年ぶりくらいに大学の講義に出て、そもそも起きているのに精一杯ってとこでさ。何でみんな平然と単位を取っていけるんだろうかって、改めて思ったよ。一年くらい前にも思っていたことだけどね。

そうだよ、ぼくは半年間、休学してたんだ。どおりでって感じだね。ぼくの姿をどこでも見なかったろう?その間、色々考えていたんだけど、やっぱり大学は卒業したいかなって思ったんだ。卒業したら、就職せずに実家に帰って、フリーターでもしながら、ぼくにできる何かをして、それで食っていく目処が立たなければ、いっそ全てを切り上げてしまおうかって考えているよ。できる何かといっても、ぼくにできるのは呪いの言葉を吐き続けるくらいなんだけどね。でも、それが誰かを救うこともあるんじゃないかと思うんだ。そういうものにぼくも救われたから。

変な話だと思うかい?無理はない、ぼくもそう思う。でも、本当に救われたんだ。ぼくと違う境遇の、見知らぬ人間でも、一人の人間として、自らを悲観して苦悩するところや、些細な出来事に心を動かされるような、そんな姿を見ると、ぼくは一人じゃないんだと思うんだ。眠れない夜に、ますます眠れなくなりながらも、孤独が埋められることが、ときに本当に救いになるんだ。

まあいい、ぼくは呪いの言葉を発し続けるまでだ。そして、それと同時に、他の何かをする。他のかたちで呪いの言葉を伝えられるように。たとえば、物語で。たとえば、音楽で。現状、ぼくはそういった創作からは縁遠い人間で、まともな何かを作ったことはない。しかし、できることならただの言葉ではなく、美しいかたちでそれを表現したい。醜い人間の、人間であるという呪詛を、人間による美しいかたちで。

それができないなら、ぼくはここから消えることにする。まあでも、すぐにではない。ここには知るべきことがたくさんある。読むべき本もまた。

……

 

ぼくが一年越しに講義室で、誰か知り合いにあったとしたら、こんなことを言うのかもしれない。もっとも、休学する前から大学に知り合いなどいなかったのだが。そして、いたとしてもこんなことを話すだろうか。こんな、思ってもいないこと。思っているかもしれないこと。ぼくの本心は、ぼく自身にも計り知れない。昔からそうだった。物事を疑うとき、最初に疑うのは、自分自身についてだった。こうして何かを疑っている自分とは何なのか。本当にそれを疑わしいと思っているのか。答えは否。ぼくはいつも何かのふりをしている。

なんにせよ、ぼくは何かをし続けないといけない。それは物語ることかもしれないし、音楽を奏でることかもしれない。絵を描くことかもしれないし、歌うことかもしれない。それが自己欺瞞に基づく行為であっても、大真面目でさえあれば、それは真実の行為になる。