白昼夢中遊行症

苦しみを生産してはいけない

子を作りたいと考える者のなんと身勝手なことか。自らの都合で不幸な人間を生産することの罪悪に無自覚である。人類愛から子を生したいと思う者だけが子を生すべきだ。そうすれば、この世界はもっと生きやすいものになるだろう。少なくとも人口が減って、争う相手が減ることだろう。人類愛に満ちた者が子を生したからといって、彼らがそのまま人類への愛を持ち続けるとは限らないし、その愛が正しい愛なのか、そもそもそれは本当に愛なのかは疑わしいが、もしかりに、正しい人類愛によって生まれ、育てられた子供は、そのはじめは古い人間の格好の餌食となり、辛酸をなめることだろう。しかしそれでも人間の善性を信じ続け、やがて善き人間だけが地上に残ったとすれば、そこは生きるに値する世界になるだろう。そんな世界は未来永劫、実現しないであろうが。
すくなくとも、いまの人間はほとんどが間違っている。そしてそれら間違った者が多くを占める人間が台頭するこの世界は醜い。そしてそれを正しい姿、あるべき姿にもっていけないのなら、人間は滅びるべきである。そして今の人間ではそれはできない。さらに言えば、いまの人間から、正しい人間のあり方にもっていける人間を生み出すことはほとんど不可能だ。加えて、このような状況が続けば、他の生きとし生ける命に取り返しのつかない害を与えることになりかねない、そうなる前に、人間は滅びるべきである。人間は存在してはいけない。その社会の仕組みからして間違っている。社会がなければ成り立たない人間は、それゆえに存在そのものが間違っていると否定されるべき存在だ。
天に星が瞬くように、地に花が咲くように、その自然さのうちに人間には破滅がなくてはならない。
それよりもまず、どうにかしてこのぼくを破滅させなくては。ぼくもまた間違った人間の一人であることには違いないし、ぼくが生きていることによって周りに与えている害悪は大きいだろう。それは自意識過剰かもしれないが、自意識を持っていることこそ害悪の芽であろう。つまりぼくは死ぬべきだし、ぼく以外のすべての人間も死ぬべきだ。