白昼夢中遊行症

言葉に詰まる夜がある

おれはひとりだ。そうなるのを望んだのは、ほかでもないおれ自身なのだけれど。時々すごく寂しくなる。おれが自ら距離を置いたいくつかの場所に、もう帰ることはない。

今のおれに帰る場所というのがあるのだろうか。実家はそうかもしれないが、なんだか実家に帰っても、なにかもてなされているような気がして、少し落ち着かない。

行き場のない郷愁が、おれを寂しくする。帰りたいのに、帰るところがどこなのかわからない。

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ぼくはどこからやってきたのか。

間違って生まれてきてしまった、という確信は、いたるところでぼくを部外者たらしめる。誰とも分かり合えない気がしてしまう。それでも誰かにぼくのことを理解して欲しいし、ぼくも誰かを信じられるようになりたい。要するに、真っ当な人間になりたいのだ。普通が一番難しいなんてことは、耳にタコができるくらい聞かされてきた。

間違って生まれてきてしまった。生まれてきてしまったからには、どうすることもできない。死はそれを解決するだろうか? 否。存在する以前と、存在を終えたあとでは、まったく異なる。この世に存在し始めた時点で、この世界になんらかの害をなしている。生れることが罪悪だという考えはけっこうありふれたものではないか。

間違って生まれてきたならば、それを誰にも悟られることなくひっそりと消えてゆくのがいい。これ以上、誰かに迷惑をかけてはいけない。誰かを悲しませたり、落胆させてはいけない。生きようとする意志を放棄して、それでもなお生き延びてしまうこの時代の生きづらさ。死に向かうのでもなく、生きようとするのでもなく。生命の危機に瀕することがあったなら、生きようという意志が芽生えるのであろうか。いまぼくは飼い殺しにされているのか。生かされていることには感謝すべきか。しだいに迷走してきた想念をいかんせん。眠れないのだ。いつかのぼくの、帰る場所になっていたかもしれない居場所。ぼくが自分から放棄した場所。どうしようもないことなのだが。

生きていられることを当たり前に思うなと言われるだろうが、ぼくはたぶん半年後も生きているだろう。しかし、それ以外になんの未来も見えない。いや、なんの望ましい未来も見えない。たぶん、今と変わらず自分がなにもしないでいる言い訳をなんとかひねり出しながら、少しずつ現実をずらかっていくのだろう。

そうやって、五年後、十年後、ぼくはどうしているのだろうか。一人で死んでいくのか。いつもなら、それがどうした、かえって気楽でいいだろう、なんて言うのだろうが、ふとそれが堪え難く寂しいものだと信じきってしまうと、どうしようもなく不安になる。かといって……

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眠れない。闇の中で隣の部屋のエアコンの室外機の音を聞いてじっとしているのは堪え難い。もう片方の隣室は空室だ。三月の初めごろに部屋を引き払った。ぼくは夢うつつで引越し業者の声を聞いていた。そして、大家との会話もいくらか聞こえた。壁が薄い。

聞くところによると、いいところに就職が決まったのだと。よかったじゃないか。

しかし、隣の声が聞こえるくらいの壁の薄さ、というのにいくらか救われてきたと思わないでもない。とくに、なにかテレビ番組か何かを見て一人で笑っているのを聞くこと。これが孤独を紛らわせてくれる。そうしてなんとかやり過ごした夜がいくつあっただろうか。そんなにないかもしれないが。

眠らねばならない。なんとしても。眠れぬ夜に向き合うことをやめてはいけない。もうすでに目を背けてしまったのだが。眠れなくとも、眠るふりをしなくては。夜眠り、朝起きること。陽の光の中歩くこと。夜中に考え事をするのはいけない。こんな無意味なものになる。