白昼夢中遊行症

断想

自死の誘惑が押し寄せてきては、いろいろなものを奪い去っていく。もはやまともに生きていく希望もないし、その気もない。おれを取り巻くすべての人はおれに憎しみをいだくばかりか、おれを見て見ぬふりをする。おれはさいきん被害妄想ばかりしているし、とてもそれがまったくの妄想であるとは思えない。真実がどうであるかにはかかわらず。もはやおれの目は現実をその通りに反映しない。そしてこの目に映るものが非現実であるのなら、おれはこんなものを見て苦しみたくはない。それならば、おれは夢を見ていたい。やさしい夢を見ていたい。どちらも現実でないのなら、見ていて心地よい方を選ぶのは当然だろう。そして知らぬ間に死んでしまいたい。それができないなら、せめて何も見えないように、何も感じないように、この手で自身の存在にかたを付けてしまおう。

しかし、何があろうと自らの命を絶ってはいけないのだという声が聞こえる。死んではいけない。死ぬことは恥だ。死ぬことは永遠の敗北を自ら認めることだ。みずから死ぬことは生きている人間すべての靴をなめることよりも惨めだ。

ならばどうすればいいというのだ。生きていくには堪えない。しかし、死ぬにしてもその屈辱はまた耐え難い。おれは生と死の間に板挟みになって生きている。今日は自死の誘惑が強い。しかし、自死の誘惑が強くあっても死ぬことはないし、反対に生きることへの渇望が強くても、では生きてみようとはならない。

おれは生きようとして生きているわけではない。たまたま現状として生きているのを、だらだらと続けているのだ。ここからどちらに踏み切ることもできずに。できることなら生まれない方がよかった。そうすれば生きることも死ぬこともなかった。生まれてしまったから、生きないといけないし、死なねばならないのだ。