白昼夢中遊行症

断想

ここ最近はまた、手で文字を書いている。

いや、キーボード打つのにも手を使っているから、この言い方は良くない。ここ最近はまた、筆記具を使って紙のノートに文字を書いている。自分の言葉はどうもまだ書けそうにないので、もっぱら読んだ本の目次とか本文の引用とか。

他人が書いた文章を書き写す、というのも思えば長いことやっていなかったけれども、これはこれでいいものだ。デジタルで書かれたものならばコピー・アンド・ペーストができるこの時代に、そうでなくともOCRで簡単にデジタル化してしまえるこの時代に、手書きで書き写すというのは非-効率的で倒錯的な行為なのかもしれないが、こうすることによってその文章を単に読む以上に読むことができる。そしてそれを自分の手で改めて書くことによって、その文章が持つ息遣いを感じることができる。

この効用は、音読に近いかもしれない。ただ、現状ではなかなか気兼ねなく声を出せるところがない。一人暮らししていた頃はたまに音読もしていたっけ。音読する代わりに、書写しているのかもしれない。

しかし手で書くのもいいものだ。タイピングともまた違って、自分の字の形とか紙の手触りとか匂いとかペンの重さとか滑り方とかインクの発色とかムラとか滲みとか、そういった豊かな愉しみがある。

そういうわけで、ここ最近は手書きで文字を書いている。自分の文章を書くのがなかなか大変なときでも、何かを書きたい、という思いはあって、それを抜き書きとかで満たしている。

とはいえ、なんか書きたいよな。なんで書きたいのでしょうかね。何を書きたいのですかね。まあ、なんでもいいか。