白昼夢中遊行症

断想

そういえば、病気が流行って大学に通っていなかった頃、深夜に近くの木造家屋が全焼した。かなり高い火柱が上がっていて、1人の住人が死に、周辺に停められていた車のライトは溶け、軽自動車は熱で軽く歪んでいた。

後日、焼け跡に近づいたとき、印象深かったと記憶しているのは、その臭いだったけれど、今ではそれがどんなだったか、忘れてしまった。

当時、そのときのことを忘れまいとして、メモを漁ってみたのだが、出てこなかった。探すところが違うのだろう。

そのかわり、なんか一時期、大学のノートをiPadのメモ帳でとっていた時期があったのだが、そのノートが出てきた。器用なことに、そのときは、ソフトウェアキーボードを迷いなく叩いて文字を打ち込んでいた。まあ、いまもできると思うけど、やらないだけ。

こんな、よくわからんのも出てきた。


2020/05/24
コンビニで割引シールの貼ってある商品を見ていた。130円のプリンが50円引きだった。 この店のオーナーらしいじいさんに、この世の真理を教えられたような気がするのだが、あまり覚えていない。しかし、薄っぺらいことではなくて、大事なことを教わった気がする。覚えていないのが残念だ。自転車で走る。高架下で堤防に向かってボールを投げて遊んでる人がいる。自転車で走る。踏切を渡る。

いったい何を重要に思ったのだろうか。夢を解釈する、というのも悪くない試みだと思うけれど、ちょっと今日は気分が乗らないのでやめとく。このメモも、覚書だけ残っているということは、いまと同じように棚上げされたのだろうな。でも、いまも昔も、何か大切なことを知りたがっていることに変わりない。

そういえば、どうしてか、自転車で遠くに行く夢を見るとき、いつも誰かと一緒な気がする。その誰かいろんな顔を持っているのだが、わたしはそこに何を当てはめるべきなのだろうか。