白昼夢中遊行症

断想

10:17 AM

1

今日は1日を仕事で潰すことができないので、どこかで何かをやって時間を潰してしまわなければならない、ということで私は朝から気が滅入っていた。いや、実際には暢気なもので、いつもよりも20分も長く眠った。それでも仕事へは遅れないで行くことのできる時間だから、いつもと変わらないといえばそうなのだが。

2

仕事がないが、外出はしなくてはいけない。そのようなとき、私は決まって手始めに、隣町にある全国チェーンの喫茶店へ行くのだが、今日は気分が乗らなかったので、しばらく駅でぼんやりしていた。まったく、どうして朝からあんな人の多いところへ行かなければならないのか。私は1人になって、ゆっくりしていたいだけなのだが、仕方ない。私には家がないのだから。私はできるだけゆっくりと、電車を乗り継いで終点まで行く。駅のマクドナルドで食べるものを買い、まだあまり知られていない広場で、こうしてこの記録を書いている。私はとにかく、何かを書き続けなければ嘘のような気がしているのだ。ここ数日は特にそうだ。私はなんらかのものを書いている。

3

ここ数日の睡眠時間の不足は、ここ数日、毎晩なんらかの記録をするようになってからのもので、それによって私は1日あたり平均して1時間30分ほどの睡眠時間を失っている。書くことと眠ること、一体どちらが大切かと言われれば、眠ることに決まっている。私の書くことにはなんの価値もない。しかし、私にはこの、なんの価値のないものこそが大事に思えたり、思えなかったり。まあ、毎日眠たいし、仕事も捗らないのだが、満足感はある。そうだ、私には満足感というのが重要なのだ。私は常に何かに押さえつけられていて、私の思うようになることは少ない。だから、私の中には何か、鬱積したものがあるのだ。そうしたものを軽くしてやるには、少しでも、かりそめでもいいから、何かに満足できなければならない。そういうわけで、私は私の睡眠時間を捧げてまで、何かを描いている。それで何か、報われたり、救われたり、そういうものを期待しているわけではない。第一、私は私以外のものを信じない。神なんてもってのほかだ。私は、私の満足のために、満足のいくことを書いている。ただの気晴らし。そういうこと。

4

ここはひどく風が強い。屋根はあるが、まったくの吹きさらしだ。向かいにある机で、勉強か何かしている人がいるが、数分ごとに積み重ねられたノートやら紙っぺらやらを吹き飛ばされて、まるでそれどころじゃない様子。私も私で、紙の入れ物に入ったマクドナルドのアイスコーヒーが倒れてこぼれてしまわないか気が気でない。ほらまた、強い風が吹いた。寒くなってきた。そろそろ動くべきだ。

22:59 PM

5

寒さに耐えかねた私は、場所を変えた。40メートルほど。太陽の光が当たる場所へと。そこで座り込んで、ぼんやりとしている。本を開く気にもならず、ただぼんやりしていた。着物のようなものを着た、女二人が視界の端で、どこへ行くべきかみたいな話をしている。行くべきところなんて、どこにもないだろう? と私が言ったところで無駄であることはわかっているので、放っておく。やがて一方の女が「こんなところにいても仕方がない」みたいなことを言って、それでその話し合いはいったんの帰結へと落ち着いたのか、二人はどこかへ歩いて行った。仕方がないので、私もここを離れることにした。私は特に行きたいところはなかったが、そういう時に行くべき場所は知っていた。

6

トイレで用を足した後、手を洗いながら鏡を見る。私は私の目を見る。私の眼球は青白く、瞳の横に赤い線が蜘蛛の巣のように、あるいは硝子の罅のようにはっきりと伸びていた。そういえば、さっきから目が痛む。しかしここまでだとは思わなかった。思えば私はあまりにも目を酷使しすぎていた。私の仕事はモニタに映るものを何一つ見逃さないことだし、それに加えて、ここ数日は夜中にスマートフォンでポチポチと日記のようなものを書いていた。特に後者が効いたみたいだ。前者のほうは、ほどよく目を休めながらやるように意識しているのだが、私はスマートフォンで日記のようなものを書くとき、かじりつくように画面を見つめる癖があるようだ。たぶん。それに真っ暗闇ときている。私は同じ家にいる人間が寝たところで、こそこそと書いているのだ。そうでもしないと、私は書くことができない。だって、石を投げつけられると痛いし、嫌な思いをするだろう? 私は目立たないようにしていなければいけなかった。

7

私には、書くべきものがたくさんある。そこには書きたいこともあれば、書きたくないこともある。しかしどれも、書かなければならないだろう。いつかは。

0:06 AM (10/05/22)

8

消灯だ。しかし私はまだ、「日記」を書き終えていない。書いたところでどうなるわけでもないけれど、満足して眠ることができる。いまの私には何よりもそれが重要らしい。私は今朝、私が書いたものをおぼろげに覚えている。たしかそんなことを言っていたはず。しかし、書きたいことをすべて書くとなると、この調子だと夜が明けてしまう。でもまあ、書きたいことを書かずじまいにしてしまうのもいいだろう。それくらいの気安さがなくては、日記なんて続かない。いや、私が書いているのは日記のようなものであって、日記ではないのだけれど。

9

私は通りを北へ歩いていく。なんてことはない、平日の人出だ。まだ歩ける。そうして東西に伸びる大きな通りと交差したところにある、書店に入る。ついこのあいだ、行ったばかりだったので、見るものはあまりない。この書店で買い物をしたことはない。見てばかりだ。本とか、本の棚とか、本の並びとか、置いてある椅子で眠りこける老人や若者とか、〈千年の都〉の観光ガイドとか、そのほかの国や地域の観光ガイドとか、公共交通機関のイメージキャラクターのグッズとか、なんとか。その書店がまともかどうか見極める方法はいろいろあるだろうけど、私の知っている方法は、哲学書が置かれているところを見ることだ。そこに哲学書が置かれていればまともだし、スピリチュアル本とか引き寄せの法則本とか「哲学者をバトらせてみた(笑)」みたいな本が置かれていたら、私はその書店との付き合いを考え直す。べつにスピリチュアルとか引き寄せの法則本とかが嫌いなわけではない。ただ、そうした本は哲学書ではない。それをごっちゃにしてしまうということは、そこの書店員か、マネージャーかなにか、陳列を考える人間の分類があやふやだということだ。分類があやふやな書店はあまり信頼できない。とは言ったものの、そこにしかない本があれば、私はそこへ行かなくてはならないのだが。それに、あやふやだからこそなにか面白いものに出会うという可能性もあるのだけれど。その点でいえば、ブックオフはどこもひどいものだ。少なくとも私が行ったことのあるところは。しかし、ブックオフにはそこでしか手に入らない本がある……かもしれない。そうでなくても、安く新品同然の本を手に入れることができることがある。だから私は、分類がめちゃくちゃだと知っていても、そこへ行く。今日も2件まわった。収穫はなし。

10

書店を出て、もう少し北へ行く。歩きながら、この街からなくなってしまったジュンク堂のことを考える。あの縦に長い書店を、私は歩き尽くすことができずじまいだ。この街をふらふらするようになった頃には、あるいはこの街を離れていた間になくなってしまったから、私はそこに2, 3度しか行かなかった。哲学書コーナーがどんなだったかも、知らない。

11

わたしは、もうひとつの大きな通りに差し掛かると、右に向いて、そちらへ歩く。なんだか、ごみごみしたところだ。癌に効くとかいう寺だか神社だかよくわからないところがあった。それを見かけたのは、北へ歩いているときのことだったかもしれない。でもまあ、なんだ、こんなところにどうして観光客とか修学旅行生とかが殺到するのか、私には本当にわからないのだ。

12

ところで、わたしは途方に暮れている。このペースだと、本当に夜が明けてしまう。私はたまには、目を労らないといけない。書かずじまいも、悪くない。悪くないけれど、わたしはいつまでもこうして、だらだらとどうでもいい人間の、どうにもならない一日のことを書き続けていたい気分なのだ。しかし、画面上部の時計は、午前1時を過ぎたことを示している。この時計は1時間につき1時間進む時計だから、いまは午前1時というわけだ。明日は仕事がある。そうでなくても、仕事のあるのと同じように外出しないといけない今のわたしは、ちゃんと眠らないといけない。たとえ病気になったとしても、家には居られない。そういうことになっている。だから、眠らなければならないのだ。そうでなくても、眠れるのであれば、眠ろう。この記録だって、満足して眠るためのものだ。この記録のせいで不満になって眠れない、なんて、本末転倒だろう?

2022/10/5 1:06 AM

13

だから今日はもうお開きだ。いい夜を。