白昼夢中遊行症

断想

今日、虫歯治療のために歯科医院へ行った。午後2時の予約で、直前に歯を磨くのも面倒、というかそんな機会を取れそうになかったので、朝起きてから、それまでのあいだ、食べ物は一切口にしなかった。普段から朝食に固形物は食べない人間だが、毎朝飲んでいる牛乳も、今日は飲まなかった。なので、空腹を感じていた。

治療の際に麻酔が使用されたため、口が痺れて食事を取ることができたのは夕方になってからだった。すき家で豚蒲焼と刻み葱と大蒜が乗った米を食べた。店員同士の会話(新人へのトレーニングをしているようだった)から、いままで「カラトリー」だと思っていたものが「カトラリー」だったことを知る。これまで「カラトリー」と口に出して言うことも、文字にすることもなかったので、恥をかくことなく間違いに気づくことができた。しかし、こうした思い違いを、私はあといくつしているのだろうか。それと気づくまでは、それを数え上げることはできない。気づけばひっそりと直すので、思い違いをしていたことは忘れてしまう。

カバンの中に、おととい買ったスナック菓子と、昨日買ったドーナツが入っている。食べてしまわないと、という使命感に駆られて、それらを食べる。食べてばかりだ。そのあと、さらに巻き寿司とじゃがいも菓子を買って食べ、ねぐらに戻るとまた、味噌汁やらなにやら食べる。食べてばかり。私には、それ以外にないのか?

それ以外にあったことといえば、とくにない。私は、まったくの無意識に書店に入ることもやめてしまわなければならない。そこですることはといえば、本の背表紙を眺めているだけで、そんなのは時間の無駄だ。なんの新鮮味もない。決まりきった本棚の、決まった段を眺めるばかり。新刊が出たときに、すこしだけ様子が変わるだけで、それだけだ。まったく知らない本棚を眺めるでもなし、買わないような本を立ち読むでもなし。ただ、時間つぶしのためだけに、立ち寄る書店。慣れたものの安心という毒にすっかり侵されているのか、私は。こんなことはやめてしまわなければならない。同じように、無印良品の店舗で無印良品の商品を眺めることなども。

私はこうした安心に引き寄せられて、沈み込んでいく自分を大人しく見ているわけにはいかない。私は、私自身の行末に無関心であり、しかも無関心であることを自分で覆い隠そうとしている。私は、少なくとも私自身に関しては、はっきりと目を見開いていたい。できることなら、あらゆる物事に対して、はっきりと目を見開いていたい。

私は私であることの不確かさをもっとしっかりと見つめようとしないといけない。